「世界遺産 春日大社」 (春日大社宮司 花山院弘匡 氏)

2012年7月23日(第2610回例会)

(担当会員:鴻池眞太郎 君)

 
私の名前は花山院(かさんのいん)と言いまして、読みにくい難しい名前ですので、子供の頃には困ったことが多々ありました。これは実は立派な名前でありまして、私どものご先祖様は藤原道長、その子供が藤原頼通、平等院鳳凰堂を造営した人です。その子供、藤原師実の二男、家忠が私どものご先祖様で、道長の曾孫にあたります。その頃に院政がスタートし、花山上皇がおられた屋敷を私のご先祖様が頂きましたので、花山院をつけることになりました。私は家忠から33代目です。33代というのは大体1000年になり、藤原鎌足から数えますと47代目にあたります。そのような家で、藤原氏ということで春日大社の宮司をさせて頂いています。

今、大河ドラマで「平清盛」というのをしていますが、大体ドラマの中で貴族はあまりいいように描かれていません。平清盛と私どもは非常に縁が深くて、平清盛が太政大臣になったあと、次に太政大臣を譲ったのがうちの先祖です。平清盛が宮中の中で出世するのと同じように私どもも出世して、大変仲が良かったようです。清盛の二女がうちに嫁いできています。大変美人で絵が上手であったようです。源義経のお母さんが常盤御前であることは有名ですが、常盤御前は息子である義経を助けるために平清盛の側室になります。平清盛と常盤御前の間に生まれたのが清盛の八女にあたる廊御方です。壇ノ浦の戦いで清盛が亡くなった後、平家は滅亡し、助かったものの行き場所がない廊御方は、うちのご先祖様のところに身を寄せて、後に藤原兼雅との間に一女をもうけています。当時としてはよくあることですが、これがドラマに描かれますとイメージが悪くなるので困ったなと思っているところです。
それでは春日大社のお話をさせて頂きます。春日大社には大きな神様、4柱がご本殿におられます。第一殿には武甕槌命(たけみかづち)、「出雲の国譲り」の時に一番の戦陣を切る部隊として遣わされた日本で最強の神様であり、奈良の平城京を護って頂きました。第二殿には、武甕槌命と共に出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をした経津主命(ふつぬしのかみ)が祀られています。神武東征において布都御魂(ふつのみたま)を地上に落とし、神武天皇が持った瞬間に日本は平定されたということです。第三殿は天児屋命(あめのこやねのみこと)、大阪の枚岡神社から来られ、岩戸隠れの際に、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神に出て来て頂こうと考えたのが天児屋命で、名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、神社の形を表しており、中臣連の祖神です。そして第四殿には比売神(ひめがみ)が祀られています。第三殿の神様のお世話をする奥様と言っても過言ではないと思います。それぞれに天照大神様と関係があり、春日大社は日本で一番素晴らしい強い神様、一番知恵のある神様、一番力のある神様がおられるところです。
春日大社は藤原氏の神社だと思われていますが、氏神さんではありますが、その役目は、国家国民の平和と幸せを1300年前からお祈り申し上げています。震災以降は震災からの復興を祈って、祝詞を年間2,200回以上奏上しています。貴クラブも震災復興のために支援しておられるとお聞きしましたが、中臣氏の祖神を祀っていますので、昔から国難がある度に奏上しており、3月11日以降は、1日も早く復興のご加護を頂くために神主と巫女、職員、そして一般の方も入って頂いてご一緒に奏上しています。当初、特に多い日は50人ぐらい、現在も雨の中でも5~6人にご参加頂いて、昨日までで50,029回、復興を祈って奏上させて頂きました。私は福島県に行って、農産品が売れなくて困っているとお聞きし大量に買って、神様に奉納して、奈良の皆様にもお分け致しました。1300年前から国家国民の平和と幸せをお祈りするお社であるということになります。
それでは万葉集から二首と有名な歌を一首、紹介させて頂きます。春日大社は、最初は三笠山という山に神様がおられて、建物は建っていませんでした。建ったのは奈良時代後半で、その前から色々な国のお祭りをしていました。光明皇后が謳われた歌、「大船に 真楫繁貫き この吾子を 韓国へ遣る 斎へ神たち」は、甥の藤原清河が遣唐使として中国へ渡るときの安全を願う歌です。そして藤原清河の返し歌は「春日野に 斎く三諸の 梅の花 栄えてあり待て 還り来るまで」というものです。清河は安倍仲麻呂と唐朝に仕え、一緒に帰国しようとした時に仲麻呂が詠んだのが「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」です。東の方に月が出て来て、ずっと向うは三笠山、無事に帰ることができるようにお守り下さいという願いが込められています。清河と仲麻呂の乗る第一船は逆風に遭い唐南方の驩州に漂着し、清河と仲麻呂は身をもって免がれますが、唐から出ることはできませんでした。一方、鑑真を乗せた第二船は無事日本へ帰国しています。春日大社の周りは、その時代から国家のために命を捧げた方がお祭りをしてから出て行ったようです。

奈良といえば鹿が有名です。私がこの仕事に就いてから有難いことに2回、天皇陛下と皇后陛下が来られました。2回目は春日大社の鹿の角切りを見たいということで見て頂きました。一昨年の秋のこと、それまで降っていた雨がピタッと止んで、無事に見て頂くことができました。また、交通事故に遭って怪我をした鹿を保護している施設もご覧頂いて、鹿煎餅をあげられるなど、皇后陛下が非常にお上手だったことを覚えています。そして御料車に乗られてドアを閉めた瞬間、不思議なことに止んでいた雨が降り出して驚きました。鹿は神様のお遣いであり、鹿の角切りを見に来られたということで神様がお喜びになられたのだと思います。春日大社は20年に一度、造替をし、1300年、国家と国民の平和と幸せをお祈りしてきて世界遺産に指定されています。また一度、機会があればご参拝頂ければ幸いです。本日はどうもありがとうございました。