2012年2月20日(第2590回例会)
想い起こせば私は、サントリーの佐治敬三さんが理事長を務めておられた年に大阪JCに入会した。当時としては一番年少であったから、先輩会員にはずいぶんお世話になったものである。入会2年後の昭和33年にJCI世界大会を日本の東京で開催される事となった。
今日思えば、先の戦争に大敗した日本で戦後復興がやっと軌道に乗り出した頃に、あの様な国際大会が、色々な団体に先駆け、先陣を切って挙行されたことは本当に素晴らしいできごとであったと思う。私は勿論出席したがまだ新入会員並みであった頃だから、初日のオープニングセレモニーに出席し、帰ろうとしていたら、突然佐治さんに呼ばれ、彼に急用ができて至急大阪へ帰ることになり、私にこれを胸につけて明日からの行事に自分の代理として出席するようにと、大会役員の白い大きな花リボンに佐治敬三と書いてある名札を渡された。不安はあったが、先輩の命令は絶対であると心得ていたから「はい、分りました」とお受けした。翌日会場に出向いたら、早速東京JCの親分衆の鹿島建設の石川六郎さんや、虎屋の黒川社長、三輪石鹸の三輪社長に見付けられ、「あれー、君はいつから佐治圭市になったんだい?」とからかわれる始末だったが、かえって東京に多くの知己を得ることとなった。多くの欧米諸国やインドや台湾、フィリピン等アジア各国JCメンバーは多士済々で、総理官邸や外務大臣公邸での会合、パーティは実に華やかで、素晴しいものであったが、特に宮城へのご招待見学会では多くのJCの方々と宮中を案内され、二重橋の上から眺めた東京丸の内の景観で帝国劇場を中心に整然と並ぶビル群は、今日のような高層ビルのない時代ではあったが、とても美しくて深く感動を覚えた。そしてこの様な機会を与えて下さった佐治先輩に感謝したのである。
佐治さんは、JCの仲間は二代目が多かったから、常々「親父は息子にとって敵だ。ライバルである親父に負けるな。」と発破をかけられていて、時に違和感を覚えることも言われたけれども、思えば後継者たる者のあり方を示しておられたと考えられ、佐治さんも父鳥井信次郎氏亡き後、壽屋から躍進するサントリーへと世界に冠たる日本のウィスキー造りや、自ら出向かれてフランスのワイン醸造元を買収され、日本にワインの黄金時代を築かれたり、また大変苦労されたビール部門を立派に軌道に乗せられた。会社の大発展に導かれた佐治さんの馬力はあのJC時代から燃えていらっしゃったのだと思う。
今ひとつの、私の個人的感慨も含めて、佐治さんの偉大さは、本来なら国家がやるべきことと思われる、サントリーホールの建設です。企業メセナと色々人は言うが、まともなミュージックホールがないとは文化国家日本の恥なのだと思っていた。色々と無理があったことでしょうが立派に完成し、世界の何処に対しても恥ずかしくない音楽の殿堂が完成したのだ。オープニングセレモニーにご招待を受け、財界・銀行界のトップクラスの方々の所に席をとって下さって、素晴しい式典に参加できて大変嬉しく思った。そして佐治さんが巨大なパイプオルガンの前に立って、心揺さぶる荘厳な音色を発して式典は始まったのである。佐治さんの今日までの苦労、そして今日の歓びの心を思うと涙の出る感動を覚えた。
佐治さんは、関西経済同友会や21世紀協会や、そして関西経済界の輿望を担って大阪商工会議所会頭の大役を果たされた。常に我々JC仲間の先達として、経営者のあるべき姿を示してこられたと思う。何よりも人に力を与えて下さった人物てあった。
ところで、我々の人生で親父の代理を務めてびっくりするような出会いの経験があったが、今日の卓話で佐治先輩の代理を務めさせて頂いたお話をした。世間に言う二度ある事は三度あるという言い伝えを地でいくような経験をして、とんでもない代理を務める羽目となり、心底参った事がある。裏千家淡交会は全国組織であって、ロータリークラブ同様、各地区で毎年、地区大会が開催される。大分前になるが、舞鶴支部がホストとなり近畿地区大会が開催され、日立造船体育館にてお家元を中心に自民党の政治家で前尾繁三郎という立派な方が地区長で盛大に挙行された。懇親会も無事に終わりやれやれと言ったところで、御家元が突然私を呼ばれた。のっぴきならぬ急用で最終便で東京に行かねばならず明日の行事で代理を務めるように、と佐治さんの時と同じような大きな白い花リボンに「裏千家家元 千宗室」と大書きした代物を渡された。私は直ちに断りましたが、有無も言わさず拝み倒されて、あっという間に飛んで行ってしまわれた。危惧は案の定であった。翌日の特別行事とは舞鶴海上自衛隊の最新鋭自衛艦の訪問見学で、港には百人以上の地区の会員が早朝より整然と並んで、当然ほとんどが女性で、それこそ一張羅の着物を着て畏まって待っていらっしゃった。登舷礼に迎えられ、桟橋を登っていくと、艦長以下幹部の方々がずらりと並んで敬礼され艦長室へ案内された。今日の訪問のお礼の挨拶を申し上げ、御家元には元帝国海軍航空隊の頃のお話をよく伺っていたから、御家元ならこんな話題を話されるのではないかと一心に考えて色々なことを喋った筈だが、上の空でとにかくお尻が落ち着かず、もう二度と大宗匠の代理だけはお断りしなければと思った次第である。ただ、社中の皆さんを乗せた自衛艦が白波を蹴たて舞鶴湾を巡ってこられて、好天に恵まれ、美しい島々の風景、それこそ素晴らしい行事を無事に取り仕切ることができたことはありがたいことであった。
想えば美空ひばりの歌ではないけれど、人生の出会い、巡り合わせの不思議さ、そして一期一会の茶道の教えは、年を重ねるほどに感じ入っている今日であります。