「職業奉仕を考える」 (横尾 泰治 君)

2012年10月22日(第2620回例会)

 
ロータリーの目的を一言でいえば「奉仕の理想の追求」、「職業奉仕の推進」であると言われている。しかもご存じのとおり、ロータリーは「We serve」ではなくて、「I serve」だと言われている。ロータリーの奉仕は各自の日常の職業のなかで、実践・推進することが基本理念として求められているのである。

 

ロータリーの定義はロータリーの手続き要覧の第三章や私たちの名簿にも記載されている。そして続いて「ロータリーの綱領」が定められ、記載されている。一言でいえば「ロータリーの目的は職業奉仕の推進」であり、「職業奉仕」抜きではロータリーはあり得ない!というのが他の奉仕団体が持たない理想である。そして、ロータリアンの行動基準として「四つのテスト」がある。
さて、1905年にシカゴで誕生したロータリークラブは、この奉仕の理念を平易に表現する試みが繰り返された。
1910年 A.F.シェルドンは職業人の行動基準は「利己と利他との調和」であるとし、
〝He profits most who serves best .″
最もよく奉仕する者、最も多く報いられる。
1911年 B.Fコリンズは私利私欲を捨ててこそ本当の奉仕だとする〝Service not self.″無私の奉仕が提案されたが、これはあまりにも宗教的自己滅却を伴うものであった為
1912年 シェルドン一派か〝Service above self.″超我の奉仕 自己滅却とまではいかないが、やはり自利より奉仕を優先するという厳しい内容となっている。
現在はこの「超我の奉仕」がロータリアンに求められている基本理念となっており、ロータリアンに高い哲学的境地が求められているところである。

 

さて、このようなロータリーの職業奉仕理念がロータリーの精神的主柱と形成されていった背景とは何であったのか?
もともと、西洋の宗教は禁欲としての「勤労」を重んぜられてきた。とは言っても、もっとさかのぼれば、肉体的勤労は奴隷や身分の低い階層の人がするもの、ではあったわけだが……。

さらに16世紀に始まるルターらによる宗教改革のなかで、ルター、カルヴァン等は「神の栄光を増し、神の御心にかなう生活態度はこの世において職業活動に勤勉すること、すなわち不断の勤勉に他ならない。」ものとした。
職業活動は「隣人愛として、神が課したものであり、人々は職業人として社会に奉仕することによって、神に奉仕すべきという精神を確立したのである。ルター以後、「職業」が神の命令の意味で、ドイツ語で「Beruf」、英語で「Vocation」、「Calling」という言葉を使っているのも、こうした背景によるものである。
言い換えれば、西洋資本主義は本来、その根本にプロテスタンティズムとか勤勉、節約、社会への奉仕、といった精神的バックボーンがあるわけである。

 

一方、経済学では色々な経済学理論が展開されてきた。
経済学の始祖と言われているアダム・スミスは「国富論」などを著し、各個人が利益を追求することは、結果として社会全体・国全体の利益になる。価格メカニズムの働きにより需給も調節される。「神の見えざる手」が働く。
20世紀初めの社会経済学者マックス・ウエーバーはプロテスタントの経営者が事業に成功していることに注目し、論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で「近代資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィ二ズムにおける宗教倫理から産み出された勤勉に生活合理化であるとした。

ロータリーの職業奉仕哲学は、マックス・ウエーバーの経済理論と共に、ルター、カルヴァン等の「自らの職業は神からの思し召しであり、神への奉仕そのものである。」という精神に影響を受け、さらにさかのぼれば、キリスト教の原罪思想にも行き着くのではないか。
原罪思想を乗り越えられるのは、神を愛すること。隣人を愛すること。としている。

人間はこの世に生まれてきた瞬間からさまざまな恩恵を受け、さまざまな権利も持つことになる。権利と義務は表裏一体である。その義務とは使命である。
職業というのは人体の細胞のようなものであり、お互いが職業上の機能を分担することによって、社会が成り立っている。職業は私どもにとって、この世に生まれてきた者の使命である。

 

「資本主義経済社会では、この自分中心の罪深い・利己的な人間が自由に経済行為をすることにより、過当な競争を生み、職業倫理や道徳からはずれた経済行為が生まれ出てくる。各職業人は自らの職業に倫理観を持ち、真心で仕えよう。道徳的に正しく職務を遂行しなければならない。」ということなのだが。それだけでは飽き足らない気がする。

ロータリーの職業奉仕は英語でVocational Service である。Vocationも神からの思し召し、Serveも神へお仕えする、である。とすれば、ロータリーの哲学はもっと深遠であるはずだ。

私たちは「利己的な欲求(事業の継続的安定や拡大のための利益も)、と人間としての使命感・義務を調和させながら、更にそれを超越する「隣人への限りない奉仕」という感情を常に持ちながら職務に精励する。」ことが求められているものと思う。