「腕時計の世界から見えるもの」 (種村 泰一 君)

2012年1月16日(第2585回例会)

 

本年最初の卓話担当です。今日は機械式時計(以下、「時計」)の魅力についてお話しさせていただきます。
フランク・ミュラーという時計士がエテルニタスメガ4という時計を発表しました。ダイヤも何もない時計ですがお値段は約2億6000万円です。なぜこんなに高額かといえば1000年間調整不要の永久カレンダー、トゥールビヨン、ソヌリ、クロノグラフなどありとあらゆる機能が小さな時計に盛り込まれているからです。現在はグレゴリウス暦ですが、このグレゴリウス暦は4年に1度閏年、しかし西暦が100で割り切れる年は閏年ではなく400で割り切れる年は閏年です。1000年調整不要というのはこういったことを小さな歯車と歯車の噛み合わせで実現しているということです。しかも、この永久カレンダーは元々ナポレオンと同時期に生まれ育ったブレゲという時計士が発明したものでして、コンピューターも何もない約250年前もの昔にこういうシステムが考え出され、かつ、実際に作り出されたということからは我々人類の素晴らしい知恵というものを実感できるのではないでしょうか。これが時計の魅力の一つです。ちなみに、先ほど触れたトゥールビヨンもブレゲの発明でして、これは時計の精度が重力によって影響されることを補正する機能です。このツールビヨンを載せている時計は大体1000万円以上します。ソヌリというのは1時間毎、あるいは15分毎に時の経過を知らせる音が鳴る装置で、これを載せている時計も大変高額です。エテルニタスという時計にはこれら機能が「てんこ盛り」なのですから、2億6000万円という値段もある意味しょうがないといえましょう。
一方、オメガにはスピードマスターという時計があります。この時計はアポロ計画の際にNASAが数ある時計の中から月に携行すべき時計として選んだものでして、アポロ13号で事故が生じた際には故障したコンピューターに代わって計時に用いられ、乗員全員が無事地球に帰還することができたというエピソードがあります。ロレックスもエベレスト初登頂の際に携行されていたことが知られています。こういった時計を購入するということは人類の冒険に思いを馳せるということに繋がるわけでして、これもまた時計の魅力です。ちなみに、ロレックスは一般には高級時計であるとされていますが、複雑な機能を掲載しておらず、また、価格も(時計通に言わせれば)高額ではありません。ではその魅力はどこにあるのかといえば、徹底した実用時計であり使う人を裏切らないという点にあります。夜中12時丁度に日付が変わる機能、それから防水機能、これらはロレックスが実用化したものです。
ところで、皆様はジェラルドジェンタという人をご存じでしょうか。この人は、オメガのコンステレーションを初めとして、オーデマピゲのロイヤルオーク、パテックフィリップのノーチラス、ブルガリのブルガリブルガリ、IWCのインジュニアやダビンチといった、有名メーカーの主力商品を数多くデザインした人です。時計の魅力の一つにデザインがあるということには異論がないと思いますが、そのデザインの世界にも天才がいるということをご認識いただければ、時計の魅力が益々増すのではないでしょうか。
ここまでは個々の時計の魅力についてのお話しですが、話を少し変えます。時計のあり方は経済の有り様に関係します。冒頭ご紹介したフランク・ミュラーの時計はロシアの大富豪がターゲットだといわれています。それから、中国が経済成長を遂げていますが、中国人は小振りでシンプルな金時計が好きだといわれています。そこで、各メーカーは中国人の趣向に沿った時計を発表するようになっています。新作の発表が中国で行われることも多くなってきました。そういう意味で、時計界は今の世界の経済状況を反映する鑑ともいえるのでして、そこがまた時計が私の興味を引くところでもあるのです。ちなみに、アラブの大富豪は時計メーカーを買収したりすることがありますが、アラブ人の趣味が時計に反映することはあまりないようです。国民性というか民族性というものの不思議を感じるところです。
時計の世界を大きく動かしている勢力にスウォッチグループ(スウォッチ、オメガ、ロンジン等)があります。このスウォッチグループは日本のセイコーがクオーツ時計を出してスイス時計界が苦境に陥った際、メーカーを糾合してできたグループです。グループは機械式時計の復権に大変功があったのですが、その原資はスウォッチ、つまりクオーツ時計です。クオーツに滅ぼされかけた機械式時計がクオーツにより復活する、ここに何か歴史の皮肉、あるいはダイナミクスを感じませんでしょうか。スウォッチグループに対抗する勢力はリシュモングループでして、ここにはカルティエ、IWC、ジャガールクルト等々が属しております。現在の時計界はこの2つのグループを中心として、有力な独立系メーカーが覇を競っているわけですが、最近になってルイヴィトンがウブロ、そしてブルガリを買収して急激に勢力を伸ばしております。時計業界の有様は例えれば古代中国で各国が覇を競う状況のようでもあり、こういった動きを楽しめるのも、広い意味で時計の魅力といえましょう。
以上、駆け足でお話しをしてきましたが、時計の魅力は短時間では語り尽くせません。時を知るということだけでいえば携帯電話を見れば足りますし、正確性という点ではクオーツが優れています。しかし、これらはどこか無機質で、ぬくもりを感じません。一方、時計には歴史と夢と希望が詰まっています。皆様にも是非、時計の素晴らしさに目を向けていただきたいと存じます。