「ツマガリ菓子と私の人生哲学」 (ツマガリ社長 津曲  孝 氏)

2012年3月26日(第2595回例会)
担当会員:横尾 泰治 君

 

私はこの業界に自分で望んで入ったのではなく、私の人生は出合い頭の人生、縁だけで今日まで生きてきました。15歳までは宮崎県日南海岸の串間という寒村で育ちました。親父は駆け落ち、お袋は神経を患って病院へ、兄弟4人が残りますが田畑を取られて、空が見えるような家で暮らしていました。中学を卒業すると同時に働きにでることになり、どんな仕事に就くかも分からないまま、お祖母さんから4,000円を借りて、下着だけを持って学生服のまま上京。お祖母さんに約束させられたのは家の再興、そして女の人は大事にすること、仕事を一生懸命して、人に好かれるようにというものでした。この3つを守っていたら、色々なところでご縁があり、お菓子屋に入ることになりました。上京して最初の仕事はトラックの荷物の積み込みで、お蔭で足腰が鍛えられ、現在の基礎体力ができたように思います。どんな仕事に就いても食事は十分に頂いて、ご飯を14杯食べた記録もあり、出されたご飯は残さず食べるというのが私の鉄則でした。子供の頃にひもじさを経験し、70幾つかのお祖母さんに育てられたことが私の人生の基礎になっています。ちょっとのことではへこたれない、どんなところでも、真を尽くして一生懸命やりました。この会場正面に掲げているロータリーの「四つのテスト」はまさにお祖母さんの教えです。
荷物運びを一年間したあと、紡績工場で働いて、そして先輩に連れられて入ったのがフランス菓子のお店でした。お菓子のヘタをゴミ箱に捨てるのがもったいなくて、夜中によく食べたものです。洗物をする時に舐めたクリームに、この世にこんなに美味しいものがあったのかと感動したことを覚えています。全くの無知、お菓子の知識を何も知らないで入ったのが良かったのか、3年後にはみんなを追い抜いていました。掃除でもなんでもしゃにむにやりました。最初に褒められたのも掃除で、褒められると嬉しくなるものです。荷物運びで鍛えていたので、重い砂糖などを運ぶのも苦になりません。「可愛い子供に旅をさせよ」と言います。私が後に縁あって生き別れていた親父に会った時、心から感謝することができました。何もしてくれなかったことで私を逞しくしてくれました。皮肉ではなく、素直にそう思えたので、親父もその奥さんも看取って、今もしっかり祀っています。お蔭様でお経を言えるようになりました。私の人生はほとんど出合い頭の縁で、ここまできたと思っています。
横尾様との縁ももう20年になります。20年前と今日も同じで、心の底から真の友だちだと思っています。私はお菓子の開発をしていますが、研究する会社は実に栄えます。会議をする会社は栄えます。喜んでもらいたいと思っていたらアイデアが生まれます。打ち出の小槌というのは、人に喜ばれることが基本だと思っています。
私のお菓子作りも喜ばれることばかり考えています。経営理念は人間味、人それぞれ味があるようにお菓子にも味があります。それぞれの味を生かしたいと思っています。例えばバナナのお菓子、バナナをお菓子にしてバナナより不味かったらバナナ殺すことになります。バナナ以上の味、イチゴのケーキはイチゴ以上の味にする、これがお菓子です。私は毎日常に美味しさを追求して、私の経営はシンプルです。美味しい物を追求することに明け暮れています。毎日毎日、来る日も来る日も、今日より明日、明日より明後日…するとどんどん進化していきます。菓子作りも理念が必要です。牛乳とは何ぞや、粉とは何ぞや、バターとは何ぞや、5種類の材料を使った時に1つが傷ついていたら、他がどんなに良い材料でも駄目になります。全てが良くて、同レベルで高くないと駄目です。
例えば牛乳、普通の牧場だと12~14年いけますが、それを5~6年しか生きられない牛にしてしまっています。狭いところに入れて餌を食べさせて、お乳を3倍も4倍も出させています。牛は青空天井で、寒い日も暑い日も、自然治癒力を持った牛には旨味があり、バターも私どもで作らせています。砂糖はアルゼンチンのオーガニックで、世界中を網羅して、必要なものを手に入れています。
ケーキ職人の修業をした後、エーデルワイスという洋菓子会社で働くことになりました。26歳の時に比屋根毅社長にヨーロッパで技術を学んでくるように言われますが、英語もフランス語も分からず、日本語、それも九州弁だけで通しました。カメラもなく、帰ってきてから脳に叩き込んだものを絵に描きました。チョコレートマシンなど色々なものを作りました。創意工夫の気持ちがあるとアイデアが生まれます。何かやろうという気持ちが強いと、それに到達します。3ヵ月もするとドイツ語が分かるようになるなど、切羽詰まると、ドイツ語が日本語に見えてくるから不思議です。帰国してからはアンテノールという会社の社長を30歳でさせて頂きました。今思っても経営学も何も分からない私をよく社長に推したものだと思いますが、人様に喜ばれること、真を尽くすことに努めさせて頂きました。明るく元気に真っ向勝負で正直にというのが私の人生哲学です。
洋菓子をやるようになって45年になりますが、まだ4年ぐらいの感覚しかありません。毎日毎日改良することに明け暮れ、自分の会社はまだまだ二束三文、まだ駄目だとはっきり自覚しています。自慢することもありませんが、自分に腕がない分、一生懸命変わろうとしています。人を無理やり扇動する気もなく、良い話をして、良い考え方=能力×やる気・意志力となります。私はお菓子作りで価格戦略はしません。お客様に喜んで頂けるのが商道です。同業者も熾烈を極めるほど高品質を追求しており、オリジナリティーとプライドを忘れることなく、菓子道の美学を追求していきたいと思っています。今後ともどうかよろしくお願い致します。有難うございました。