「人との出会い、建築との出会い」(田中 義久 君)

2010年3月8日 (第2505回例会)

職業は全て創造的なものが包含されるものであります。特に私が携わっている建築の企画設計などはそのデザインや空間計画など何も無い状態から何かを考えだすにあたり、ちょっとしたヒント、取っ掛かりというものがあるだけで、大変スムースにアイデアが湧いてくることがあります。そのようなヒントは、様々な人との出会いの中で溜め込むことができるのだと考えています。つまり特殊な経験や思考を一般論化することによって次に何か似たような経験に遭遇したときに、その一般論を応用することで新しいアイデアを創出することができるのだと考えています。

本日は三人の方との出会いを紹介し、そのときに受けた印象・経験などをお話したいと思います。

まずは菅原道真公です。私は、高校の日本史で、菅原道真公のことはある程度知ってはいましたが、しっかりと調べようと思ったのは、20年ほど前に、北区の天満宮の近所に事務所を構えたことがきっかけでいろんな文献を集めだしたのが、私にとっては菅原道真公との正式な出会いだと考えています。

道真公を調べていくと、菅原家の先祖は土師氏だと知りました。土師氏というと、天皇家の葬儀を司る姓であります。土師氏の祖は野見宿禰(のみのすくね)という島根県の豪族なのです。野見宿禰は、大和の当麻寺の当麻蹶速(たいまのけはや)と格闘技の天覧試合をし、勝ったことが有名で、それが大相撲の起源だといわれています。

しかし、ちょっと気になったのが、天覧試合で敗れた当麻蹶速の出身である当麻寺が、お寺の格では別格扱いでいまだに栄えていることなのです。天覧試合で敗れ、しかも大和朝廷の地元の豪族なのです。片や、大国主命の「国譲り伝説」のある出雲の豪族、この二つの取合わせが、私には引っかかるのです。

ここからは私の推測なのですが、「国譲り」つまり「大和朝廷への無血開城」ということで、出雲大社も別格の扱いで独自の文化が保護されたように、天覧試合という大舞台で出雲の使者である野見宿禰に花を持たせてやったのではないかと思うのです。国譲り伝説、古事記や日本書紀の記述であまり学校では教えていないのですが、私には仁義を尽くした日本の平和外交の始まりをみるようで、密かに誇りに感じています。

次は、「会田雄次」さんです。彼の最初の著書に出会ったのは、高校一年生の夏休みのことでした。本棚にあった「日本人の意識構造」はそれまで文芸作品しか読んだことのなかった私にとっては初めての評論文でした。しかしその歯切れよい口調にみるみる夢中になり、一気に読みきってしまいました。内容は、日本人と西洋人の考え方の違いを指摘し、それぞれのよい面を適度のバランスで採用すべきであるといったものだったと思います。

で、その直後、会田雄次の名を挙げた「アーロン収容所」まで読みきることになるのですが、ここでは、この実力主義と経験主義にもとづいた組織論が展開されていました。

この二冊で会田雄次のファンになった私は、読んだ興奮で熱にうかれたように読後感想を二枚のレポート用紙にびっしり書いて出版社に送り込みました。すると二ヵ月後ぐらいだったと思いますが、忘れたころに会田雄次さんご本人から返事をいただきました。その中には「今は高校生だけど、これからの人生において、いろいろ実際に経験し自分の目で見て触れて感じて、自分で考え、自らの責任で結論を出せる人間になりなさい」というようなことが書かれてありました。その後その手紙は紛失したのですが、全くもって残念です。

次は「亀井勝一郎」さんです。これも高校生のころですが、その著書「大和古寺風物誌」に法隆寺中門が「招き入れつつも拒絶する門」として紹介してありました。

通常日本の門の形状は最も簡単なのが、柱が二本で構成され、その次は柱間が三つ、つまり柱4本となります。通常の山門などは両側に仁王像がありその間を通るという形で、「三つの柱間」となります。つまり、柱間の数は奇数で、真ん中の部分が通れる形状となっているのが日本の普通の門の形状です。ところが、法隆寺中門の場合は四つの柱間で、真ん中の部分は柱となっているのです。そのため、亀井勝一郎は「門」という機能上は「招き入れている」のだが、中央部に柱があって通れないことで「拒絶している」と解釈し、「招き入れつつも拒絶する門」と主張するのです。

日本の門の構成などは大学に入って学び、この言葉の意味もそのときに深く知ることになるのですが、高校のころはこの「招き入れつつも拒絶する門」という相矛盾する哲学的表現が気に入り、仲間内で何かと口に出し、悦に入っていました。

亀井勝一郎はもうひとつ、「邂逅(かいこう)」という言葉を大切にしていました。邂逅とは、思いがけなく出会うこと、めぐりあいを意味します。昭和44年、青柳町に亀井勝一郎の文学碑が建立され「人生 邂逅し 開眼し 瞑目す」と記されています。つまり、短い人生、経験できる社会も限られている、そのコスモスの中で最上の出会いとよい影響を受け、自分の考えに目覚め、そして死んでいくのだという内容です。

私自身は、開眼にはまだまだ遠き感じがありますが、これからもよい邂逅を大事にし、生きていきたいと思っています。