「新入会員の話」 宮部晄太郎 君

2012年8月6日(第2612回例会)

 
私・宮部晄太郎は昭和11年6月27日、大阪の天王寺区堀越町に生まれました。本籍は香川県高松市宮脇町749で、今も従来本籍として先代からその本籍を持って出ることを許されず、ここにずっと置いといてくれとのことで、不便ですがそのままにして居ります。お墓は高松に今もあり、奈良・三笠霊園にもあり、墓参りが大変です。私も前は詰めて参っていたのですが、近頃足腰が弱まり少し回数が減りました。本家は東京で、一昨年、本家の長男が80歳で亡くなり、御気の毒と思っております。
幼少の頃は大阪と高松を行ったり来たりして、実に貧しい生活をしていました。昭和16年か17年に、母親が高松を捨て、父親を捨てて、私と弟と3人であの高松の長い桟橋を渡りました。母親が弟を小脇に抱え、私がなけなしの荷物を持って大阪まで出てきたのであります。あわてて父が追いかけてきて、その後は大阪で家族4人落ち着いて暮らしました。
私は早くから勉強がまあまあできた方でした。また車は、父が外車ブローカーで、当時は国産車がありませんでしたので、外車ばかりを乗りまわしておりました。車に浸り過ぎて、今の自動車修理販売という身の上になっています。
さて、今困っていることは、自分の履歴書を書けと言われることです。小中高校ははっきりしているのですが、大学があやふやです。割かしましな大学に入学はしているのですが、問い合わせたところ、単位が足りず中退になっているとか、入学はされていますが単位取得の記録がないだとか言われます。当時付き合っていた高校の後輩の女性に、「他の人と同じように大学を出たってつまらない。私と楽しく暮らしていこう」などと結婚を迫られた日もありました。私が煮え切らず、女性には捨てられ、無事に大学は卒業しましたが…。今から約57~58年前の話です。
余談ですが、渡辺淳一を気取って、その女性と一昨年再会を果たしましたが、月日の流れというのは残酷なもので、女性の現在の姿にびっくりしてしまいました。自分の姿は棚に上げて置いて言う事ですが…。
まぁ、人生そんなものではないかと思います。
大阪西ロータリークラブには一度平成8年に入会、この度再入会の運びとなりました。これからもよろしくお願いします。