2012年5月7日(第2600回例会)
私は今月で丁度70歳にねります。若い時は70歳の人はおじさんという印象がありました。自分が70歳になりますと、まだ若いと思っております。ロータリークラブは27歳の頃入会して、出たり入ったり致しましたが、もう40年間ほどお世話になっております。しかし、私のロータリーライフは「味噌汁の中の麩」みたいに「浮かばず、沈まず」の状態でRCをエンジョイしていますのでそう成長しておりません。また仕事の方は一般の定年を10歳ほど過ぎておりますが、私の今の会社の状態ではまだまだ引退することはできないと思っています。私は三男として生まれておりますので、代々引き継がれた菓子屋の家業は継ぐことはできないものと思って、初めは他の会社に勤めていました。しかし、一人で事業を起こすことは私の能力ではできないと思って外国に3年程行って、その後は家の中に潜り込んで働いていました。戦後ですから、二男の兄が「長男だけではなく、自分も独立して菓子屋をやりたい」と言い出したので、それに便乗して私も菓子屋をやることになりました。千鳥屋の創業者の原田家は元武士として、京都が先祖の地でした。私は先祖の故郷の地、関西で菓子屋をやることになりました。現在私は大阪を中心として店を持っておりますが、先祖の地として京都にも店を出すことにしまして、吹田、高槻、桂と京都に近づくたびに、先祖の縁の引き合いもあってか、店の売り上げが上がった感じが致します。先祖が呼んでいる感じが致しました。現在では京都に5、6店舗ほど店を展開しております。
私には息子が3人おりまして、息子たちは最初「菓子屋をやる気持ちがない」と言っておりましたが、いつの間にか、3人とも私の会社に潜り込んで働いております。息子が「菓子屋をやりたい」と言うと親として拒絶する気持ちがおこりません。それで息子たち3人は大学を出て外国に7年3年3年とお菓子の修行に行かせました。私もコネがありますので皆さんが知っているフランスの「ピエルエルメ」や「ラ・デュレ」、世界の国王が泊まる「ホテルモーリス」等一流の菓子屋に修行に行きましたが、帰ってきても、売れるケーキは一つも作れません。ちょっと話はそれますが、今、関西で有名な洋菓子屋さんは職人さん上がりで一代で築き上げ、大きくなって成功されています。また、兄弟が一緒に仕事することは、親がいなくなったら仲たがいして不幸になっている会社があります。私は「息子に継がせるなら一子一暖簾」と決めて、3つの会社を興そうと決めております。現在はそれに取り組んでいます。本体の千鳥屋宗家は別に、若菜屋、栗阿彌と寛永堂がそれぞれ年商30億、50億の規模になったら、息子たちは争うことなく事業に打ち込めるだろうと考えておりますが、目標達成は不可能かもしれません。