「私の出会った高名な経営者」(清水 美溥 君)

2011年10月31日(第2576回例会)

久し振りに、卓話の当番がまわってきました。
何を話そうかと考えましたが、私の会社の仕事の事など全然面白くも何ともないので、仕事上で、これまでお会いし仕事をさせて頂いた方で、高名な経営者の方々についてお話しさせて頂く事にしました。無責任で評論家的にお話しさせて頂きますので、今日お聞き頂いた事は是非聞き流して頂きたいと思います。
私はこれまで、沢山の高名な経営者の方々と仕事の上でお会いし、お話をさせて頂きましたが、とりあえず今日は4人の方についてお話ししたいと思います。お亡くなりになられた方お二人と生きておられる方お二人です。

 
①渡辺忠雄(1898.9.3生~2005.4.3没 106才)
1945年(昭和20年)日銀文書局長から三和銀行専務
1947年(昭和22年)頭取
1960年(昭和35年)会長
1977年(昭和52年)名誉会長
・ 戦後の衰退した三和銀行の建て直しに奮闘。その戦略は(主に昭和20年代後半から30年代に)
① 重化学工業化
② 国際化
③ 東上作戦(人、物、金)を東京へ
④ ピープルズバンクを標榜
・ 名誉会長になられてからは大所、高所から経営陣を指導。三和銀行を再建し、上位行の地位を確保、そして収益日本一にした功労者。

 
②中内 功(1922.8.2生~2005.9.19没 83才)
・ 大阪西成郡伝法町(現大阪市此花区伝法)に生まれる。父・秀雄、母・リエ。父は大阪薬学専門学校を卒業後、薬屋を始めた。祖父は高知の士族の家に生まれ、神戸で眼科医。ダイエーのエイは祖父の名前栄からとられたもの。
・ 神戸三中、神戸高等商業学校卒業後、実家の「サカエ薬局」に勤務後、1957年、大阪市旭区の京阪千林駅前に「主婦の店 ダイエー薬局(ダイエー1号店)」を開店。
翌年(1958年)、神戸三宮にチェーン化第1号店を開店。
1972年売り上げ 小売業 トップ。
・ 紳士服ロベルト、ファミリーレストラン・フォルクス、ハンバーガーチェーン・ウェンディース、ドムドムハンバーガー、コンビニ・ローソン、百貨店プランタン、イチケン、リクルート、忠実屋、ユニードの買収。リッカーの再建。
1988年 南海ホークスの株式を買収 福岡ドーム建設
流通科学大学開学、新神戸オリエンタルシティ。
2001年 ダイエー退任
・ 1990年代に負債総額2兆6千億円となり、苦境に立ち、その後グループは解体。
・ 喜怒哀楽が激しく躁鬱病気味。一方、家族思いの面も強く、結果的に後継者選びで失敗。

 
③宮内義彦(1935.9.13生~ 76才)
1958年 開学卒業 ワシントン大学MBA
1960年 日綿実業入社
1964年 オリエント・リース設立と同時に移籍
1980年 2代目社長
2000年 会長
・ 1988年、社名をオリエント・リースからオリックスに改めるのに際し、阪急ブレーブスを買収した。
・ 市場原理主義者―競争社会は「弱肉強食」ではなく「優勝劣敗」。→ 規制緩和が経済成長にはかかせないという考えの持ち主。
・ マスコミの評価は芳しくないが、極めてクリアーで的確な判断をされる方だと思う。

 
④稲盛和夫(1932.1.21生~ 79才)
1955年 鹿児島大学卒
松風工業勤務
1959年 京都セラミック(京セラ)を設立
10年後、上場。
1984年 第二電々(DDI)設立
1984年 ㈶稲盛財団設立 京都賞
「稲盛塾」を主宰 「アメーバ経営」
民主党 顧問
2010年 日本航空会長
(稲盛経営12か条)
1.事業の目的・意義を明確にする
2.具体的な目標を立てる
3.強烈な願望を心に抱く
4.誰にも負けない努力をする
5.売り上げを最大限伸ばし、経費を最小限に抑える
6.値決めは経営
7.経営は強い意志で決まる
8.燃える闘魂
9.勇気をもって事にあたる
10.常に創造的な仕事をする
11.思いやりの心で誠実に
12.常に明るく前向きに 夢と希望を抱いて素直な心で経営する
・ 宮内さんと逆でマスコミは評価しすぎ
・ 必ず、人に頼まれた形にされる。その方が成功すれば「さすが」と言われ、失敗しても風当たりは強くない。

 

 

最後にこういう素晴らしい方々と仕事をご一緒させて頂いて、光栄に思うと同時に教わる事もたくさんありました。皆さん共通しているのは、実質創業者で何をやるか明確で適格、結論が早い事です。
そして、一番共鳴し、参考にさせてもらっている言葉は、「絶えず“Challenge for tomorrow”を心掛けよ」という言葉と、仕事に全力を投球した後、「神に祈りて全力を尽くし、全力を尽して神に祈る」という言葉です。