2013年2月4日(第2631回例会)
この度、三枝元会長・井本直前会長のご紹介により入会させて頂きました小川哲男です。実は、最初の入会は平成8年でして、再入会であります。
ロータリークラブの新入会員の話としては、ふさわしくないかもしれませんが、「企業の倒産」にまつわるお話をさせて頂きます。
私は、11年間勤務していた大阪市中央区にある老舗不動産会社を退職して、昭和60年に株式会社小川不動産鑑定事務所を開設しました。昭和の終わりから、平成の初めまでの不動産バブルとその崩壊の波を受け、大きく乱高下する業態でありました。
その後、レイコフのレジデンシャルファンドの1号案件を仲介したことが縁となり、平成17年1月にレイコフグループの不動産投資会社及び不動産鑑定事務所の専務取締役として、入社することになりました。入社後間もない同年5月には、大阪証券取引所ヘラクレス市場に上場することができました。同18年・19年の春頃まで業績は順調に推移しましたが、同19年の夏からはサブプライムローン問題が本格的になり、融資が付かない、物件が売れないという悪循環に陥り、ビジネスホテル・ゴルフ場等に過大な投資をしていたことが重なり、同20年に入ると資金繰りがどうしようもない状態になりました。
ところが、オーナー社長であった前社長は、他の役員の意見に全く耳を貸さずに独走を続けました。やむをえず3月4日に前社長を解任し、誰もなり手がないので、私が社長になる破目になりました。大型倒産事件に強い大手の法律事務所に3月10日頃に相談したところ、このままでは「野垂れ死にになる」と指摘され、3月20日(木、春分の日)午後8時30分過ぎに大阪地方裁判所第6民事部に民事再生の申請をしました。約180億円の負債を抱え、約230人もの社員がいた中、1年6ヶ月にわたり倒産処理の代表を務めましたが、不眠症と人間不信との戦いでありました。病気になることを覚悟していましたが、それまで大病をしたことがなく、元来頑丈な身体で、精神的に追い込まれた時にも逃げも隠れもしないというしたたかさをもっていたことが幸いしました。
民事再生の申請代理人をして頂いた上田・野上先生をはじめ大江橋法律事務所の大型倒産チームの先生方には、人語に尽くせない努力をして頂き、民事再生手続きの結了までの責任を果たすことができました。
「会社の倒産」はあってはならないことですが、その後の私の人生に、この経験が大きな糧になっています。