「宝塚あれこれ」 (元阪急電鉄 専務取締役/元宝塚歌劇団 常務理事 松原 徳一 氏)

2012年12月17日(第2627回例会)

(担当会員:清水 美溥 君)

 
本日はお招き頂きまして有難うございます。今年の夏、春日野八千代さんが亡くなりました。享年96歳、2年ほど前まで彼女は元気に舞台に出ていました。100周年には記念式典で踊ってもらおうと考えていましたので残念です。宝塚が出来たのが大正3年、彼女の初舞台は昭和4年、80有余年、宝塚一筋の方です。昭和の初め、「モン・パリ」という日本初のレビューを上演、次に「すみれの花咲くころ」という主題歌で有名になった「パリ・ゼット」を制作、その頃に彼女は初舞台を踏んでいます。
宝塚歌劇団は阪急の創業者である小林一三が創設しました。彼は体格は小柄でしたが、大きなことをするのが好きで、4,000人収容の大劇場を造りました。本格的な緞帳のある、花道やオーケストラボックスのある劇場は、2,000数百人収容が限度、それも大正の終りに造っています。沢山収容できれば一人当りの入場料が安くなると考えたようですが大失敗でした。14~15歳の女の子が声を張り上げても、マイクのない時代ですので劇場の隅々まで聞こえない、冷暖房もなく、夏は窓を開けると動物園から動物の鳴き声や騒音で、劇場の体をなさなかったようです。そんな時、演出家の岸田辰弥がパリから帰国、そして持って帰ってきたのが「モン・パリ」という日本初のレビューです。一番驚かされたのがラインダンスで大当たりとなりました。今度は白井鐵造をパリとロンドンに送って、持って帰ってきたのがレビュー2作目の「パリ・ゼット」です。主題歌の「すみれの花咲くころ」は以来80数年間歌われています。
気を良くした小林一三が東京に東京宝塚劇場を造ったのは昭和9年で、後に東宝へとつながります。当時のスターは天津乙女、春日野八千代、葦原邦子、小夜福子など、宝塚の勢いは全国的になっていきました。昭和13年にはドイツ、ポーランド、イタリアで海外公演を行い、翌14年にはアメリカにも行っています。
そして太平洋戦争が始まり、劇場は閉鎖、関係者が去っていく中で、宝塚ジェンヌたちは、いつかは戦争が終わるだろうと全国各地での慰問公演を中心に細々と活動し、満州などで国使としての公演を行い、下級生は挺身隊として軍需工場で働きました。再来年に100周年を迎えますが、今日あるのは当時の彼女たちの献身的な努力があったからだと思っています。
昭和21年に宝塚大劇場を再開、白井鐵造さんも疎開先から帰ってきて、華やかなレビュー再開に、終戦直後の日本人は大変驚いたようです。「虞美人」や「源氏物語」を上演、春日野八千代を筆頭に越路吹雪、有馬稲子、新珠三千代、乙羽信子など、皆様方がご存知のスターたちが人気を博しています。彼女たちはその後、映画全盛期の東宝、松竹、大映の映画女優になっています。今も天海祐希、真矢みき、黒木瞳、鳳蘭など、宝塚を辞めた人たちが、ミュージカルやテレビ、コマーシャルで活躍しています。ほとんどの人は退団すると一般人として結婚します。これは宝塚音楽学校の校風です。100年前に出来た時から、決して役者の養成学校ではない、健全なる婦女子の育成にあたるとしています。小林一三は非常に演劇文化を大切にしており、家庭生活には衣食住プラス文化が大事だという信念を持って、家庭婦人がピアノが弾けて歌舞伎や文楽に親しみ、演劇文化を理解できるということに理想を描いていたと思われます。
宝塚歌劇団は音楽学校を卒業しないと入れません。2年間、予科と本科をへて、劇場で歌ったり踊ったりするのは研究科です。花月雪星宙の5組があり、トップスターといわれるのは研究科14~15年、大部分の生徒は研究科7~8年、決してタレントの養成所ではありません。音楽学校は日本一厳しい学校だと思います。6時に登校し自主レッスンをして、7時から一斉掃除、精神統一のための掃除です。8時から演劇、音楽、ダンスの授業です。高校を中退して入ってきた子もいますので、高校卒業免許取得のために、高校で週末や夏休みなどに一般教養の勉強をします。彼女たちには目的があり、20倍の競争率で入った人たちですので、1人の落伍者もなしに頑張っています。2年間の鍛錬で「清く正しく美しく」をモットーに品格ある女性に育っていきます。
昭和30年から40年ぐらいにかけて客足が減ってきて、テレビの普及・娯楽の多様化に伴い、劇場稼働率は低下していきました。そんな時、昭和43年に私は阪急電鉄から出向を命じられ、行ってみると関係者が非常に頑張っていると感じました。歴史に残る名作があるのに、日本一のショーを作っているのにお客様が来ない。演目が独りよがりではないか、宝塚ファンのニーズに合っていないのではないか、このような宝塚の窮地を救ったのが、1974年の「ベルサイユのばら」でした。如何に顧客のニーズが大事かに気付かされ、このことは小林一三氏が100年前から言われていたことです。当時はマーケティングという言葉はありませんでしたが、お客様の志向、ニーズを知らなければ企業の経営はできないと常に言われていました。それをいつの間にか驕っていたということになります。百貨店も電車会社も同様です。阪急百貨店が先日グランオープンして好評です。これも7年前から新しいニーズは何かと真剣に考えた結果で、阪急の原点であると思っています。
宝塚歌劇団は世界一大きな劇団です。スタッフ、演出家、作曲家、生徒は1組80人で400人、オーケストラは28人バンドが2バンド、こんなに大きな劇団はボリショイバレエと宝塚だけです。大道具、小道具、音響、事務所の人たち合わせると600人、人数が多いだけでは自慢になりませんが、東京と大阪に劇場を持ってバウホールもあります。そこで年間24本のオリジナルを上演しています。当初、宝塚歌劇は利益を度外視した街づくりの一環としてつくられ、阪急がここまで来られたのも宝塚の文化的な匂いがかなり良い影響を与えたと思っています。今後とも皆様のご支援をよろしくお願い致します。