「新会長のご挨拶」 (大塚 道夫 君)

2012年7月3日(第2608回例会)

 
伝統と風格のある大阪西ロータリークラブの会長をおおせつかりました大塚道夫です。
前期の井本会長・髙木幹事が完璧なすばらしい運営をされましたので、それに劣らない様にするには大変な事だと思っています。皆様の絶大なるご協力を賜わって安積幹事と共にやって行こうと思っておりますので、よろしくお願い致します。
さて、私は平成8年2月26日に北方龍一元会長と横尾泰治元会長のご推薦を受けて髙士会員と一緒に入会させていただきました。入会順で言うと現在70名中23番目です。ほとんどの会員の方が私の自己紹介を聞いていただいていないので、自己紹介させていただきたいのですが、その前に皆様にロータリークラブから必ずお伝えしなければならないメッセージがありますので、それをお伝えします。
今年度のRI会長は日本人として30年ぶり3人目の田中作次会長です。田中作次会長のテーマは「Peace Through Service~奉仕を通じて平和を」というものです。ロータリーの未来と世界平和の進展は若者達にかかっており、より良い世界を後世に残していくには意義ある活動に若者達に参加してもらい、より強く推進していかねばならないと言っておられます。ベルリン・ホノルルについで2013年5月17日・18日は広島で「日々の生活や地域社会の活動で平和を推進する方法を考察する」というテーマで世界平和フォーラムが開催されますので、ぜひ皆様こぞってご参加ください。
また、2660地区の高島凱夫ガバナーも「育もう未来の力~飛躍~」というテーマのもと、ロータリーの究極の目的である世界平和を達成するため、質の高いロータリーにふさわしい力を注入する必要にせまられていることを訴えられています。
昨年、わが国を襲った東日本大震災から1年数ヶ月が経ちましたが、被災地では依然として復興の力強い足取りは見えてきていない現状です。そんな中、わが大阪西RCは、元会員の縁による気仙沼RCとの繋がりで、いち早く気仙沼小学校、気仙沼中学校への支援が実行できましたが、まだまだ充分なものとは言えません。この様な大変な時期に大阪西RCの会長を務めさせて戴く事となり、その責任の重大さに身の引き締まる思いであります。東日本大震災で被災された東北の人々の行動や態度は世界の人達に驚きと感動を与え賞賛されました。略奪や暴動も起こさずお互いを気遣いいたわり合うこの日本人の人間性は世界平和を推進するリーダーとしての重要な資質のひとつではないかと思います。今こそ自信をもってこの日本人のすばらしい人間性を世界にアッピールする活動をすべき時期ではないでしょうか。
ここ数年、大阪西RCは残念な事に会員数が激減しています。経済的環境等様々な要因が考えられますが、やはりこれに歯止めをかけるのは魅力あるクラブづくりが急務かと思います。幸いなことに大阪西RCは素晴らしい会員の皆様で構成されており、会員同士がより交流を深め、自分達の魅力を外に向かって発揮していけば必ず発展拡大に結びつくと思います。今年度のテーマを「会員の絆を深め、楽しいクラブライフを」にさせて戴きました。そのためにも一ヶ月に一度は公開例会として、多くの友人・仲間に例会に参加して戴き、また会員交流の場であるクラブフォーラム、アッセンブリー、記念式典、家族親睦会等を充実させ、同好会の活動も更に活発化させて、今まで以上に互いに深く知り合い絆を深め楽しいクラブライフを送る事が大切だと思います。
次に自己紹介に移らせていただきます。生まれは滋賀県湖北地方の長浜です。豊臣秀吉が初めて築城した場所です。織田信長が浅井長政の居城・小谷城を攻めた時大活躍し、小谷城が落城する直前にお市の方と3姉妹を救出したエピソードは昨年のNHK大河ドラマで皆様よくご存知の事と思います。地元長浜市の小・中学校を卒業し、虎姫高校を経て甲南大学準硬式野球部に入部しました。この時期、私にとっての心の持ち方が変わるエポックがありました。その事があってから自分はなんてラッキーな人間なんだと常に思う様になりました。4年生でキャプテンの時は憧れの西鉄ライオンズの本拠地・平和台球場で行われた全日本選手権大会にも出られました。就職試験も受けた所は全て合格し、最終的には伊藤忠建材に入社したのですが、そこで仕入から売りまでの商売の流れを教えてもらい、回収の重要さも教わり、幸運な事に担当した商品は、入社した時月商2,000万円でしたが、退社する4年後には月商2億円にもなっていました。父親が税務調査官に身内を財務か経理に入れろとのアドバイスを受け、私に声がかかって大塚産業に入ったのもラッキーでした。大塚産業は300年程前から創業しており、部屋の中に吊る蚊帳のメーカーでしたが、固有の技術を活かし、今はトヨタ自動車等のカーシート縫製と蚊帳の生地を色紙に貼り合せて布クロスを製造した事から始まる住宅の内装仕上工事業を営んでいます。お陰様で日本経済新聞の全国版の200年企業という特集で3度程取り上げて戴いております。
私の仲人をして戴いた方は伊藤忠商事の社長・会長をされた越後正一様です。同郷のよしみで引き受けて戴きました。その時頂戴したお言葉は「綆(つるべひも)の短きを思わず却って泉涸れたりと謂う」というものです。これは自分の身の至らなさを棚に上げて全て相手のせいにして物事を片付けてしまう事を諌めた言葉です。この言葉のお陰で家族仲よくやっています。

若い頃は石原裕次郎に似ているとよく言われました(笑)。最後にその当時の新婚旅行の写真を見て戴いて結びとしたいと思います。

30才
今後一年間、ご協力の程よろしくお願い致します。