「新入会員の話」 (綱田健次郎 君)

2013年6月10日(第2646回例会)

 

こんにちわぁ、3月4日に入会いたしました、綱田健次郎と申します。よろしくお願い致します。
自己紹介をさせて戴きます。昭和22年8月26日生まれです。昨年65歳になりました。団塊世代の一番手です。
両親とも鳥取の出身で、日本海に面した賀露という地区で、半農半漁の町です。父方は漁師町で気性の激しい方が多く、母方は農家で、穏やかな方が多い地区です。東に中国山脈が源流の千代川が流れ、鳥取砂丘がすぐ近くにあります。西は鳥取空港があり、因幡の白兎の伝説で有名な白兎海岸があります。従兄の子供の代になりましたが、何人かが底引き船に乗っております。綱田は漁師町ならではの姓名だと思います。よく網田さんと間違えられます。「夢千代日記」で歌われた「貝殻節」は、この地域の労働歌です。昭和42年に東京の大学に入学いたしました。母がその春の3月31日に48歳で他界しました。そして翌年5月25日に父が54歳で逝去いたしました。
昭和46年に学校を卒業し、父が設立した綱田工業㈱に入社し、経理、営業と色々な分野の仕事に従事いたしました。昭和60年から東京勤務となり、20年近く生活しておりました。ちょうど10年前、平成15年に﨑島商工㈱に務めることになりました。創業者の﨑島さんに、事業を継続してくれないかと、ご依頼がありました。氏の長男は、小学校の同窓生で、ご夫婦には仲人をして戴きました。何かとお世話になった方のご依頼を断ることは出来ませんでした。平成17年12月25日に85歳で逝去されました。亡くなられるまで、大阪西南ロータリークラブのメンバーでした。
さて、この会の推薦者は山原さんと丹生さんです。入会の過程を少し述べさせて戴きます。
平成18年の秋に、大学の学友会から大阪府支部総会の案内がありました。総会の後、講演会が予定され、講師は山原一晃さんで竹中工務店の副社長とありました。演題は「御堂筋あれこれ」でした。竹中工務店は﨑島商工にとって大切な取引先であり、当時、愛日小学校跡地の再開発の最中でした。講演会後懇親会があり、その席で山原さんと名刺交換をしたのが、初めての出会いです。その後、校友会の諸行事でご一緒する機会が増えました。
そして昨年の交友会の総会で、山原さんからロータリー入会のお誘いがありました。入会を決めるのに自分自身紆余曲折がありましたが、山原さんの熱意と、送られてきた名簿に丹生さんの名があり、入会を決意いたしました。丹生さんの会社とは、大阪の船具組合とワイヤーロープ組合で同じ会員同士で、ご一緒に旅行もしておりました。丹生さんは、小生の両方の会社のことをよくご存知で、クラブに入会するべしとの天の声かと感じました。
皆さま、今後ともご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いいたします。