「現代社会と大相撲」 (元関脇栃乃和歌 春日野 清隆 氏)

2013年3月18日(第2636回例会)

(担当会員:清水 美溥 君)

 

大相撲春場所、今日から後半戦が始まっています。大阪府立体育館は立地条件が良いのに、その割には、7,000人ちょっとしか入りません。名古屋場所、九州場所は10,000人近く入ります。大阪の方はええ恰好しい、見栄っ張り、だけど情に厚い。私たちはそれに付け込ませて頂いているというか、切符の販売でもお世話をお掛けし、感謝しています。タニマチの語源は大阪からきていると聞いており、まさしく大阪の方には大変お世話になっています。昔は大阪も名古屋も九州も準場所と言われ、要するに採算がとれないと本場所にはなれませんでした。一年に一回、待っていて下さるというのは私たちの励みにもなっています。かつて、地方に行くと、江戸から大相撲の一行が来るということで、その時のギャラはお米、野菜だったと聞いています。
私どもは部屋としては私で四代目です。初代は栃木山、栃木県出身で出羽海部屋、勝率は8~9割で、幕内優勝9回、全勝優勝をして辞めており、髪の毛が結えなくなって引退したという話もあります。私は和歌山県出身ですので、栃木の栃と和歌山の和歌で栃乃和歌、当初は変な名前だなと思っていました。親方に、「名前は自分で大きくするもんや。変な名前やと思っても有名になったら立派な名前になる」と言われたことを覚えています。最初は違和感がありましたが、なかなか地方色の出た良い名前だと思っています。今も私どもに栃乃若という力士がいます。尼崎出身で期待しているところです。
私の師匠は栃錦、その時は理事長でした。国技館が落成した昭和60年1月、ちょうど大学を卒業する年で、記者会見をしたことを覚えています。今入った子、10年前に入った子にも同じことを言っています。親父、師匠のことを私は親父と呼んでいますが、「親父が生きていたらどうだろう」と、それが私のバイブルというか、常に心の中にあります。栃木山から栃錦、栃ノ海、そして私に言われてきたことがあります。「相撲は攻められる方が我慢」と思っておられるのではないでしょうか。栃木山の言葉は「我慢、辛抱というのは一生懸命残すことではない、押す方が我慢、我慢して押す」というものです。「おっつけ」「しぼり」がうちの特徴です。栃煌山は負けが先行しています。武骨で下手くそですが、教えた通り一生懸命やる子ですので、後半は盛り返してくれると期待しています。外人が2人いますが、なかなか言うことを聞きません。彼らとは戦いでしたが、やっとここまでになってくれたと思っているところです。言葉の壁が大きかったのが私の経験から言えることです。栃ノ心、碧山で苦労したので、次から外人はとらないと決めています。65歳定年ですので後14年、長い間続いてきた部屋として、はみ出ないようにということを、ここ10年実感してきました。新しいことをやろうとしても、私より年配の後援会の方が沢山いらっしゃいます。思い切ってやったことが成功したり、皆さんが合わせて下さることもあって、そういう意味では育ててもらったなという感じがあります。弟子を育てたというよりも勝手に成長してくれて、五代目、六代目と延々と続いていくべき部屋だと思っています。部屋には5つの一門があり、その冠部屋がなくなるような状態になっています。私が入った時は22部屋、うちの部屋には60人ぐらいいました。今の部屋数は50近くあって、うちの部屋は6人の関取がいて三役1人、幕ノ内3人、十両2人、ちょっと自慢というか満足しています。ただ、後援会の方は欲張り、私たちを応援して頂いている代償かなと気を引き締めているところです。そんな中で十両以上の力士をつくらないで終わる親方もいらっしゃいます。自分でつくった部屋は自分で潰せますが、老舗として続けていくのは非常に苦しいことだと思います。部屋をやってみたいというのは力士の最終目標ではないかと思うので、是非大関以上、優勝力士をつくりたいと頑張っているところです。栃煌山は明徳義塾高に進学、埼玉栄高の豪栄道とは同級生で1位、2位を争う存在感でした。豪栄道をとった境川親方は日大出身で私と同級生、親方同士がライバルで、弟子同士がライバルというのは、弟子・師匠名利につきると、良い刺激になっていると思います。強くなろうと思ったら身近にライバルを探すこと、私も常に煽られ、意識をしていました。10年すれば春日野部屋は100年になります。
相撲はどうやったら強くなるかと常に思っています。まずは力士たちに綺麗事を言います。「いい相撲で勝ちなさい」と。本心は「かわっても叩いても、何でもええから勝ってくれ」と思っています。土俵で迷ったら相撲にならない、何とか勝ち越そうと思ったら大関、横綱にも勝って、下の者には負けられない、非常に価値のある8勝です。金星は平幕が横綱に勝つこと、勝ち越すと持ち給金が加算されます。給料形態、維持員の問題、そして今は特殊法人の認可を受けるためにやっていますが、なかなか進みません。窓口は文科省ですが最終的には内閣府になります。ある程度任せるところは任せて、お願いするところはお願いして、うまくやっていきたいと思っています。相撲の歴史は古く、昔は戦いでした。今はスポーツという枠にとらわれ過ぎているような気がします。先輩の胸に汗と涙をつけて強くなる、恩返しというのは、その人を超えることです。合気道の先生に、「個性というのはつくるもので、出すものやない、にじみ出るもんや」と言われたことがあります。西洋のものは曲がる方と反対の方に曲げて、決めて転がします。合気道は曲げる方にどんどん曲げていったら転びます。それを相撲に生かすことは難しいかもしれませんが、人間の体から技を生み出すというか、やはり和だと思います。相撲はスポーツになってきていますが、やはり道と付く相撲道、柔道、剣道、合気道、1000年、2000年と続いてきていることを誇りに、なおかつ続けていく義務があると思っています。来年は皆様のご招待で、このへんの子供たちが相撲で喜ぶ顔を是非見てみたいなと思っています。どうかよろしくお願い致します。本日はありがとうございました。