「玉音放送と皇居クーデター事件」(新風書房代表 福山 琢磨 氏)

2011年8月1日(第2566回例会)

(担当会員:松岡 庄司 君)

皆様、こんにちは。私は昭和9年5月生れ、ハワイの出身です。日本にもハワイがあります。山陰の鳥取県中部です。羽合町といって現在は町村合併で湯梨浜町に変わっています。今は大阪の上六で新風書房という出版社を営んでおります。今日は皆様方に「大阪春秋」という雑誌を一冊ずつお持ち致しました。これは季刊で年四回発行、大阪の歴史、産業、文化等を毎回特集し、付録が大変好評で、昔の地図などをお入れしています。ご関心のある方は読んで頂ければ幸いです。また、「孫たちへの証言」という本を、毎年全国から戦争体験の原稿を公募し、一冊にまとめて出しています。読売新聞の昨日の社会面のトップ、「日曜便」というコーナーで「心にうずまく戦争体験」として紹介されました。朝からどんどん電話がかかってきて、30人ぐらいの方のお話をお聞きして大変でしたが、その反響の大きさに驚いています。
もう66年前になりますが、8月15日、終戦の日に天皇陛下の玉音放送が全世界に向けて放送されました。その時のテープを今日はお聞き頂きたいと思います。最初から最後までお聞きになった方はいらっしゃいますでしょうか。8月15日の昼に発行された読売報知新聞、そこに玉音放送の内容がきちっと全部印刷されています。
実際のラジオでの放送は非常に雑音が多く、何をおっしゃっているのか真意が分かりかねるという状態であったそうです。私はお盆休みで小遣いをもらって、町へ模型飛行機を買いに行っていた時で、帰ってくると親父とおじさんが泣いているのを見て驚いたことを覚えています。雑音で聞き取りにくかったために二通りの受け止め方があったようです。「こういった時期であるから一層頑張って努力せよ。1億一心火の玉となって最後まで戦うんだというメッセージだ」というもの、最後の「……堪えがたきを堪え、忍び がたきを忍び……」がはっきり聞こえたので、そういう主旨であると受け止めたと思われます。また、「これは降伏宣言だ。ポツダム宣言の受諾である」ということで、特にブラジルにおいては日系人が二つの派に分かれて、死者まで出るような争いがあったということで、祖国を思う気持ちは大変なものであったようです。
連合国であるアメリカやイギリスはびっくりしたそうで、天皇陛下の一言で、世界の各地で戦っている兵たちが銃を置くというのはなかなか難しい事です。ただ、部隊によっては作戦継続もあったようですが、大体は平常に収まっていったと思われます。
ところが、本拠本元の皇居でクーデター事件が起こりました。最後の御前会議が開かれたのが8月14日朝からで、陛下の方針は「ポツダム宣言を受けざるを得ない」というものでしたが、強硬に戦争継続を唱える人たちがいて、その本命が陸軍大臣の阿南惟幾です。本来は閣議で協議し、その結論を陛下にご奏上し、ご裁可を仰ぐのがルールですが、どうしても決まらないので止む無く陛下のご聖断をお願いしました。陛下は「これ以上国民を犠牲にすることはできない。国全体が崩壊してしまう。それでは先祖に申し訳ない。自分はどうなっても構わないからポツダム宣言を受諾して国の安全を図らざるを得ない」とおっしゃいました。それでも阿南陸軍大臣は最後まで署名、捺印を拒否し、「最後の一兵まで本土決戦をやれば勝機を見いだせるに違いない。そのための準備は万端整えている」と主張、結局は署名捺印し、その後で自決されています。
採決が決まってから、陛下は「自分が直接国民に訴えかけます」とおっしゃいましたが、畏れ多いということで8月14日の11時半ぐらいから翌日15日の1時前まで約1時間かけて録音されたということです。15日のお昼に全世界に向けて放送することが決まり、放送されたら戦争継続ができなくなりますので、一番困るのは戦争継続を企んでいる人たちです。陸軍省軍務局の畑中健二少佐、椎崎二郎中佐が中心になってクーデター計画を立てました。どういう計画かというと、陛下が録音されたテープを強奪し、放送を阻止すること。そして戦争継続をすることでした。当時の近衛師団長、森赳中将のところに行き直談判をしますが、当然ながらはねつけられます。問答無用、時間がないので森赳中将を銃殺し、偽の指令書を出して皇居を開門し、自分たちの軍隊を入れて2時間にわたって皇居を捜索しますがテープは見つかりません。そこで放送を阻止するため、軍隊を向けて放送会館を占拠します。その前に皇居が大変なことになっているという情報があっちこっちに流れて、最初に皇居に駆け付けたのは第12方面軍司令官兼東部軍管区司令官である田中静壱大将でした。この人が自分の軍隊をひきつれて皇居に乗り込んで、クーデターを企んだ部隊を解散させ、放送会館に急行して放送会館の部隊も解散させます。このようなことがあって、ようやく12時に放送ができたということです。
ここで申しあげておきたいのは、阿南陸軍大臣はどういった計画で戦争継続をしようと企んでいたのかです。長野の松代に大本営壕というのがあります。巨大な壕で、象山、舞鶴山、皆神山に大きなトンネルを掘って、そこへ政府の中枢部門を集結させ、舞鶴山のトンネルには天皇陛下はじめ皇居の人たちに住んで頂くというものです。象山地下壕は現在も見学ができて、大型のダンプカーが通れるぐらいのトンネルが1,600mぐらいあります。そこに中枢を収容して本土決戦をしようと企んだのです。皆様も機会があれば見学されたらと思います。
福島の原発の問題も大変なことになっています。やはり国の安全、平和をもう一度根本から考え直さなければならない、そういう宿題を投げかけられているように思っています。
本日はどうもありがとうございました。