「わたしは紀州人」 (前島  淳 君)

2012年11月26日(第2624回例会)

 
私は根っからの「紀州人」である。270年ほど昔に生れ、庄屋から紀州・徳川家の下級士族に登用された前島延英は「遠祖の儀は不明なれど代々紀伊国・名草郡松島村の百姓にて伝右衛門と称す」と記している。 この初代から明治維新に際会した3代目までの役職は省くが、安政5年生れで4代目の曽祖父は、以下述べる3人のように東京へ出る覇気がなく、海草郡四箇郷村で助役・村長として半生を捧げ私の中学1年生の昭和15年晩秋に83歳の高齢で長逝した。曽祖父と同時代人で東京で活躍した3人の事蹟から話を進める。(私が作成して配付の経歴書をご参考に)

 

 

① 小泉 信吉 (以下、敬称を略す)
紀州藩・下士出身の秀才で慶応義塾に学び、藩の援助で英国に留学、帰国後は大蔵省から横浜正金銀行に入り副頭取。福沢の嘱望で明治20年、慶応義塾塾長となるも運営で意見対立して辞任、日銀から再び正金銀行支配人となったが、日清戦争時の超繁忙で明治27年に急逝。
その時6歳だった麒麟児の令息が私達の敬仰してやまなかった小泉信三先生で、慶応の塾長を昭和8年から、同22年まで勤めて昭和41年に78歳で逝去。
因みに昭和17年、南太平洋方面で戦死した慶応出身で三菱銀行員だった令息の信吉氏は信吉氏の直孫である。
この『海軍主計大尉小泉信吉』(文春文庫)は、版を重ね、多くの人々の感涙を誘った信三先生の遺された名著である。

 

 

② 岡崎 邦輔
日清戦争の下関講和談判をまとめた紀州人の陸奥宗光外相はこの人の年長の従兄弟である。私の曽祖父は地元選挙区の子分。大正14年農林大臣。昭和3年政界引退。
現在、私と同世代で最も尊敬する外交評論家(元大使)の岡崎久彦氏は東大在学中に難関の外交官試験をパスした秀才の孫で、彼の著作はほとんど熟読している。

 

 

③ 鎌田 栄吉
この人は私の曽祖父克己が、藩校学習館で机を並べた大秀才の畏友で、明治31年より大正11年まで慶応義塾の塾長。この間、和歌山県から衆議院議員に当選。明治39年貴族院議員に勅選。大正11年、文部大臣。昭和2年枢密顧問官、帝国教育会会長など教育界に盡くした。

 

 

④ 小川 琢治
この方から3人は祖父と同世代、明治初期生まれの人。小川博士は帝国大学理科大学を出て日本列島のみならず台湾・アジア大陸の地質調査、国際学会出席などで活躍。明治40年の国際地質学会での発表「日本群島の地体構造について」で世界の学界の注目を浴びた。翌41年、京都帝大文学部に地理学講座が新設され教授、42年に理学博士。私の父達が学んだ大正時代の地理の教科書は、総て先生の監修だった由。
なお子息は「資料」のとおり著名な学者ばかりで、私は京大生の学園新聞記者時代から紀州人ゆえに、ご次男の貝塚茂樹先生に格別の知遇を賜わったが、その際頂いた先考の『一地理学者之生涯』(私家版)は是非何処かの書肆が復刻してほしいものである。余談ながら、私は先年、京都・黒谷の先生と小雪夫人との夫婦塚に額づくことが適った。

 

 

⑤ 木本 主一郎
この人は、四箇郷村より下流、紀ノ川河口に近い対岸の木之本村の大庄屋、歴史の古い木本家の嫡子で、東京専門学校(現・早稲田大学)卒業。海草郡の村長仲間の新進気鋭のホープとして曽祖父が推薦し、岡崎邦輔さん引退のあと県会議長から政友会の代議士となったが、10年余で大臣にはなれず65歳で急逝。作家の有吉佐和子は外孫である。

 

 

⑥ 下村  宏(号・海南)
この人は東大出の気骨溢れる知識人。資料のとおり、官界からジャーナリストとなったが軍部に徹底的に忌避された。昭和20年4月、日本放送協会会長から終戦処理の鈴木貫太郎内閣に初入閣。以後、終戦決定までの閣議の模様、玉音放送の録音盤を血気に逸る青年将校から秘匿した8月14日夜半の状況など、時系列で克明に記したこの『終戦秘史』(講談社学術文庫)は不朽の名著である。
余談だが、私が若き住友銀行員時代よく利用した白浜温泉の厚生寮は、元は海南先生の別荘だったと聞いた。

 

 

⑦ 浜口 儀兵衛(号・梧陵)
最後に紀州が生んだ偉人の津波対策を顕彰したい。文政3(1820)年、有田郡広村に生れ、既に千葉の銚子で醤油醸造業を営む本家の養子となり7代儀兵衛を襲名、千葉と和歌山を往来した。安政元(1854)年12月24日に発生の南海地震で、村人を高台に誘導し津波から生命を救助した逸話は、私の学んだ戦中の国定教科書(小学5年生)の「稲むらの火」に詳しい。
私は昭和16・17年の夏、大阪陸軍幼年学校1・2年生の、夏期休暇の前に夫々1週間、耐久中学(当時)に合宿して、梧陵先生が私費を投じて築いた広村堤防の下の湯浅湾で遊泳演習をした懐かしい体験を持っている。
梧陵先生は明治13年以降、和歌山県会議員で活躍し、明治18年海外視察で渡米中にニューヨークで客死した。

 

 

今回は、わが父祖の国・紀州が生んだ、私の尊敬する偉人7名の顕彰談をさせていただいた。
各位のご静聴に感謝申し上げる。