「グランド・デザイン?と平成2年8月、あの熱い(暑い)日」(米川 仁章 君)

2010年5月24日 (第2514回例会)

何故、この議題を卓話に選んだか。今、上海で万国博覧会が開催されている。1970年に大阪万国博覧会が開催されその会場の日本政府館に「21世紀の日本のビジョン」という課題に、国内外の大学・研究機関が未来像を提示した。1990年の未曾有の好景気を境に、日本経済が下降の一途を辿り未だに先の見えない状況にある。2010年2月の地区大会の基調講演で中谷巌氏が自身の著書「資本主義が何故自壊したか」について、何故この様な著書を世に出したか、自責の念をもって語られた。理由は米国での留学中に日本の経済システムが既得権益のネットワークによる閉鎖社会であり、市場経済が全く機能していない前近代的な社会に見え、逆に米国社会は豊かな中流階級の人々の家庭生活と家族や地域社会を大切にする精神に充ち溢れてみえ、魅力を感じた、今日ではスーパーリッチを数多く輩出した反面、過って米国を支えていた中流階級の人々とその地域社会が何処かに消え去り、同様な現象が日本社会にもみられ、過って一億総中流社会と言われた社会はもはや見る影もない。小渕内閣時代の経済戦略会議で日本の既得権益を徹底的に壊し、日本経済を欧米流の「グローバル・スタンダード」に合わせることが経済を活性化させる処方箋だと信じ、構造改革を強く訴えその路線が小泉構造改革に継承されたと言う。戦後のブレトン・ウッズ体制はニクソン時代に崩壊し、その後1973年に第一次、1979年に第二次オイルショックを招き、日本経済は苦境を乗り切ったが、欧米経済は、大量の失業者と財政赤字を招き、その改革として1980年代前半に、レーガノミックス、サッチャリズムが経済政策の主流となり、その内容は規制を撤廃しあらゆる経済活動をマーケットメカニズムの調整に委ねることが経済効率の向上とダイナリズムをもたらすという考えで、後に80年代後半に日米通商摩擦を招き市場開放を強く要求されて、既得権益を壊して経済システムをグローバル化することで打開を図り、1990年を境に生じた不況からの解決策とした。この20年間にグローバル資本主義は社会に大きな負の面を招き、何らかの規制も科さず、市場に委ねることについて、既にカール・ポラニーが1940年代に著述した「大転換、市場社会の形成と崩壊」で、資本主義の欠陥を指摘し、その状況を容認するとジャック・アタリーの著書「21世紀の歴史」で描く人間社会の終焉を語り、それに対処する考えとして、江戸時代を取り上げ、伝統と歴史のなかに多く学ぶものがあると言う。戦後の国土と経済の復興計画は時々の政府が提示してきたが、1987年の第4次全国総合開発計画を最後に新しい計画はない。数々の国土計画のなかで、1960年の池田内閣の所得倍増計画は国民所得を2倍にする為に工業生産を4倍にしなければという考えが太平洋ベルト地帯構想を生み今日の工業立国の基礎を築き、1972年の田中内閣の日本列島改造論は出稼ぎのない雇用機会と所得の増加を目的に都市と地方を結ぶ高速道路、新幹線の整備と産業の移転を図り国土利用の均衡を描いた。1985年、日本経済は対外純資産残高が世界一になり、米国は世界最大の対外純債務国に転落し、基軸通貨の安定化を図る為にG5でプラザ合意がなされ、ドル安と急激な円高を招き後にバブルを引き起こす要因となった。1989年はバブルの絶頂期と戦後最高の株価の高騰を招きダウ平均が3万9000円台に乗り、1990年の夏を境に株価が下がりそれに併行し数多くの金融機関のスキャンダルが顕在化し、それを期にバブルが弾け不動産価格の大幅な下落が続く不況に入った。私はその当時数多くの大規模プロジェクトを国内外で担当し、そのプロジェクトがこの期を境に当初の計画から大きく外れ時間の経緯のなかで不良資産化していく状況をただ景気の回復を祈るのみので、海外プロジェクトには予想もできなかったことが生じた。これ等の経済活動のなかでその判断の基礎になる国の上位計画、等のグランド・デザインについて深く考えさせられた。多くの日本企業はEC統合の後はロンドンが中心になると考えてロンドンに多くの不動産投資が行われたがソ連邦の崩壊、欧州連合条約の調印、等で、世界の体制が大きく変わり、ロンドンが中心になる予測は消えた。1970年代後半、カーター元大統領の国家安全保障担当補佐官、ブレジンスキー教授の著書「大いなる失敗」で冷戦構造の終焉とソ連邦の崩壊を予測し、ゴルバチョフの登場によりサッチャ元首相との間で幕引きがなされた。国際政治の大きな局面を予測できない日本は海外でも失敗し、不況に新たな負が加算された。経済の活性化と景気対策で毎年大きな補正予算が組まれ、宮沢喜一元総理以降の10年間の補正予算の合計が140兆円という国家予算の2年分が使われたが目に見えた効果がなく、国交省が計画する高速道路網に必要な資金は20兆円、整備新幹線を札幌から鹿児島まで作る費用は10兆円程度、この資金で国土の基幹的な社会資本を整備し高齢化社会に対応した医療・介護産業を充実される政策が施行されておればとの意見も多い。世界人口は1950年に25億人、その後、年に1億人程度の増加を続け2009年には68億人に達した。松本紘京都大学総長は「地球100億人定員」説を唱え、地球が有限である限り定員ありと「人口爆発から生の生存説とは何か」と問いかけ、現在地球をめぐる多くの課題のなかで、最も重要なテーマが「世界規模での爆発的な人口増加」であると。1972年に「ローマクラブ」がこのまま経済成長が続けば百年以内に世界は「成長の限界」を迎えると警告した。食糧科学者の意見は土地の扶養能力やタンパク質の総量から分析して100億人程度が限界だと。現在のグローバル社会では日本だけが経済的に発展するということはありえない。日本がすぐれた製品を輸出することによって他の国の生活水準も上昇し、生活水準の上昇は食糧や資源を増す。日本が経済成長を目指せば、それは同時に世界規模での食糧や資源の枯渇をスピードアップし地球の限界に近付けていく。現在、定員に達する前に爆発的な人口増加。

有限の地球に住む人類は生存の為の最後のグランド・デザインを早急に試みる必要に迫られている。