「建築 -匠の技と心- 感動したこと」(山原 一晃 君)

2010年5月10日 (第2512回例会)

久し振りに貴重な時間をいただき有難うございます。建築で感動した事について、お話させていただきます。

①まず法隆寺から。先日世界遺産の法隆寺を訪ねた。長い松並木の参道から南大門へ向う。聖徳太子のご発願により西暦607年に創建され、飛鳥時代の姿を現代に伝える世界最古の木造建築である。西院伽藍へと歩むと金堂、五重塔の感動的風景に出会い、しばし佇む。「和を以て貴しど為す」とし幸福と平和を希求された聖徳太子の創建に似つかわしい、日本の誇る美しい建造物であると実感した。

法隆寺の解体や修理に長年かかわってこられた「宮大工棟梁西岡常一口伝の重み」の本から、名言を紹介したい。ものづくりの原点である匠の技と心を窺い知る事が出来る。棟梁は「木と話し合いが出来なんだら、本当の大工にはなれんぞ」という。使う木の性質と生命力を知って使いこなせ。祖父から聞いた「口伝」に「仏法を知らずして堂塔伽藍を論ずべからず」とし「堂塔の建立には木を買わず山を買え」と続ける。一つの山の木で一つの堂塔を造らないと狂いが生じる。木の文化は自然を守る文化から生れる。木を生かすには自然を生かし、自然を生かすには自然の中で生きようとする人間の心がなくてはならない。飛鳥の匠は、木と少なくとも千年先を相談しながら伽藍を建てたのであろう。だから速さと量を競う模倣だけの技法などなかったのである。又棟梁は「堂塔の木組みは木の癖組み」「木の癖組みは工人等の心組み」「工人等の心組みは工人等への思いやり」。棟梁は多くの匠の生活や苦労を理解し、心を一つに統ずるのでが匠長の器量なりと断じている。飛鳥時代から受け継がれてきた大工の知恵が、法隆寺を守りきってきたのである。棟梁から若い弟子に引き継がれ、時代に教えられてきた。「法隆寺は私の先生でもある。金堂の修復も出来たが自分で終わりではない」とし未来へ繋ぐ匠の技と心の大切さを述べられている。

大工の技を発揮するのは道具である。大工道具は品質の良いものほど摩耗するまで使われ、消耗するという厳しい宿命を持っている。だから名工の使用した道具や名品がなかなか残せない。西岡棟梁は道具を大切にした。飛鳥の技術にこだわり、江戸以降使用が途絶えていた「ヤリガンナ」を復元して再建工事に使用した。ヤリガンナで削った木の面を雨ざらしにすると、水ははじかれてしまう。鏡面の様なきめ細かい仕上がりなのである。一方電気ガンナだと水が染み込み、一週間すればカビが生えてくる。千年先の状態を計算して造るのが古代の技法であり、千年の品質確保の努力をしてきたのが匠の技である。時代の大きな変化の中で、基本に戻り匠の技と心を思い返し、ものづくりの原点である、伝統的精神、気概を再認識し、新しい時代を築く心の拠所とすべきである。そう思いながら、すがすがしく法隆寺をあとにした。

②平城遷都1300年祭のメイン会場である大極殿について。一昨年職場見学会で工事中の大極殿の屋根部分迄昇っていただいたことでもあり、匠の技が各所に使われております。詳細は省略させていただきます。

③鳥取県三朝町の三徳山三仏寺の国宝投入堂について。706年の昔、役の行者が法力で岩屋に投げ入れたと言われているお堂で、この名がついた。標高470m後部を岩屋にすえ前面は断崖に向けての舞台造り、近づく道すらない貴重な崖に浮ぶとも建つとも表現しがたい優美な姿をかもしています。

④世界平和記念聖堂について。自らも被爆した、ラサール神父が発案し寄附を募って広島に建立されたカトリックの教会堂で45mの塔である。色々の経過があって村野藤吾さんが設計を担当する事になる。ファサードの習作が40点以上遺されており、その設計に込めた熱い思いと取り組む姿勢に敬意を表す。戦後の物価高騰の中殆んどが現場中心の手作りで、幾度かの工事中断の憂き目に合いながら進められた。外観は、RCの構造体が露出し、その間は広島の土を混ぜたモルタルレンガを亡くなられた人の数を慰霊のため外壁に積んだといわれている。私が学生時代夜行列車で広島に着き、初めて訪れた時、丁度礼拝が行われていた。ステンドグラスを通して柔らかい光がさんさんと入り込み、建築の創り出す空間と光、色から、厳粛さと心のやすらぎを得て、感動した事を思い出します。

⑤碌山美術館(安曇市穂高)について。設計の今井兼次さんは、生涯尽きる事のない創作のエネルギーを持ち続けた建築家といわれている。彫刻家萩原碌山さんの生家の近く、北欧風教会の様な美術館で、地域特有の除雪の中に建ち続ける美術館を想定したという。資金のない中で、ステンドグラスは絵具で絵付をし、尖頭の不死鳥や玄関の合掌、天使のハンドル、キツツキのノッカー、友人の彫刻家の創作で多くの人の手作りで出来た、小さな美術館である。

日本二十六人聖人殉教記念館(長崎市)について。

キリシタン迫害のため殉教した26聖人の教会堂、資料館、碑等である。宗教的象徴に殉教の意義を織りまぜながら陶片モザイク、彫刻、ステンドグラス、ブロンズ扉を宗教芸術のモニュメントになればと考えた。1920年代から建築家ガウディの影響を受けた作風である。

東京から常滑、信楽、瀬戸、唐津、有田をはじめ多くの窯元を訪ね陶片を集め外壁、塔等のモザイク創作を現場で指示し完成させたのである。火鉢や建物は高温で焼かれているため、タイルより光沢がすばらしく竣工50年近くたっても、その光沢は生きている。この二つの建物は、ツアーでは立ち寄らないが時々訪れたい建物である。思いつくまま匠と技で感動した建物についてご紹介しました。感動する事が多い程、人生を豊かにしてくれると思っております。

ご清聴ありがとうございました。