「新入会員の話」( 栗山 勝之 君)

2011年1月31日(第2543回例会)

私はこの度、三枝輝行様、野村泰弘様にご推薦して頂き、大阪西ロータリークラブに入会させて大変光栄に思います。早く一人前のロータリアンになる様努力する所存でございますので、皆様方のご指導・ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。
私は昭和46年に百貨店部隊に配属され髙島屋担当になりました。当時は売上げも少なく、訪問しては午前中に仕事が終わる状態でしたが、売場主任へ毎日訪問し続けました。「栗山君、毎日用事も取引も少ないのにご苦労さんやな」と言われましたので「何かお店にお役に立ちたい一心で来ています」と返事しました。その時主任は中元期のカタログ選定の時期でしたので、NB商品は無理だがオリジナルギフトなら取扱い出来ると言われ、当社オリジナルギフトを6尺1台分戴き、販売しました。10点程品切れするくらい非常によく売れました。その時私は、誠意を持って真面目に営業すれば不可能な事はないとつくづく思いました。昭和60年阪神ダイガースが優勝した時私は阪神百貨店を担当し、タイガースブランド商品を阪神百貨店と契約し製造販売のパイプ役を担っていました。
タイガース優勝記念商品の作成依頼をお店より頂きましたが、優勝したら販売出来るが優勝しなかったら商品はボツになる状況なのでリスクを先方に確認すると「20年に1回の優勝だから店では持てない」と言われ上司に相談しても「知らん」と言われたのでクビ覚悟で単独判断しました。結果両方優勝したので売上げに大きく貢献しました。その時優勝しなかったら大きな損害(原料資材等で約5千万位)で私は今この場にいないでしょう。その時運があったのかなと思いました。
管理職時代。私の課長就任当時は、ゴルフコンペブームで各百貨店のコンペが多くありました。しかしそれ迄は年に数回しかプレーしない私は当然練習もしませんので、ハーフ60前後のスコアでいつも部下にも馬鹿にされていました。そこで発奮し1日千球程を練習場で半年間続けました。お陰でスコアアップに繋がり色々なコンペで優勝又は上位入賞し多くの賞品を頂き家族にも大いに喜ばれました。また会社に於いても当時の社長もゴルフ好き(ハンディ8)でしたのでよくご一緒させて頂き名前と顔を覚えられ後に大いに役に立ちました。役員になれたのもこのお陰かもしれません…。
まだまだご紹介したいのですが、時間の制約がありますのでこの位にさせて頂きます。
最後に誰かがサラリーマンは「一に体力、二に運、三に引き、四に能力」やと言われた事がありましたが、私の経験から正にその通りだと思います。そして私は今、部下に「夢」「感動」「感謝」の気持ちを持つ事が大事であると教えています。
以上、まとまりのない話ですがこの経験を活かし大阪西ロータリーの発展に努力したいと思います。今後共よろしくお願い致します。