「男のロマン?-百貨店再生-」(三枝 輝行 君)

2011年1月17日(第2541回例会)

 新春早々の卓話を依頼され、話の内容を何にするか迷ったのですが、あまり暗い話もできませんので、昨年暮れに私のラジオでお話をしたことを皆様に披露したいと思います。

私が阪神百貨店の社長をしていました時のことです。ある人を通して、熊本の件で会ってもらいたい人があるとのことで、話の内容も聞かずにOKしました。当日になり、熊本から数人の人が訪ねてこられ、熊本のある百貨店の閉鎖が決まりましたが、数人の人間で再生を考えているので協力をして欲しいとのことでした。私としては熊本に何の縁もなく未知の土地であり「申し訳ないが興味はない」と断った。しかし熊本から来られたこともあり、現地を見ずして断るのも失礼になると考え、1週間後に熊本を訪問した。

私としては正式に御断りをする考えで行ったのですが、熊本空港に着き迎えの車に乗るやいなや、当時の県の商工部長で、現在は熊本県副知事の村田さんが、会って頂きたい人があるので宜しくお願いしますとのことで、熊本市内のホテルにつれていかれました。ホテルの部屋に入ると驚いたことに、潮谷熊本県知事、熊本市長、商工会議所会頭等、拾数人が待っておられ、潮谷知事が立ち上がられて「今日は全ての予定をキャンセルして三枝さんの来られるのをお待ちしていました。三枝さん、熊本県を助けてください。」との言葉を聞き、全く予想もしていなかった展開に驚き、知事に、私は今日正式に要請を御断りするつもりでまいりました、と言いましたが、市長、会議所会頭等が順番に、熊本県を助けてくださいとの哀願になりました。私としては、返答に窮し早々に部屋を脱出しその場から離れました。

しかし現場の百貨店に行く目的があったので、当該百貨店に行き屋上から順番にフロアーを歩きました。朝のことでもあり、売場はお客様の姿はなく寒散とし、販売員が私の歩く姿を縋るようなめで見つめていました。後で聞いた話ですが、当日、大阪の百貨店の社長が視察に来られる。ひょっとしたらこの百貨店を助けてくれるかもわからないとの噂がながれていたようです。私は歩きながら大変なところに来てしまったと胸を締め付けられる思いに駆られた。

視察を終えて熊本空港から帰路に就いたのですが、その飛行機の中で、私の考えは全く百八十度変わり、この百貨店を助けようと思いました。もし私がこの段階で断れば100%倒産する。そうすれば、従業員、その家族を含め1000名に近い人たちが路頭に迷う、百貨店で育てられ今日があるのですから、恩返しのつもりで再生に協力しようとの意思をかためました。

しかし、いくら社長といえども独断で決められる事柄でもない。取締役会での決議が必要です。しかし私事態が何故に熊本なのかとの考えが心の片隅にあるのですから、取締役会での賛否はフィフティ・フィフティの確立か、あるいは否決される可能性が高いと考えました。

取締役会当日は、もし否決されたら、私は阪神の社長を辞任して、熊本の百貨店に身を投じるつもりで辞表を胸に臨みました。不思議なことに役員会では、誰一人反対する役員も出ず、熊本百貨店の協力が通りました。

あくる日の熊本は、新聞、TVのトップニュースとして流され熊本がお祭り騒ぎになったのでした。出資銀行も担保なしで、出資を快諾、資本金も九州電力をはじめとして、九州の一流企業が出資に応じ御断りをするのが大変だった。再生プランに基づき、数か月の間に開店の準備を整え無事にくまもと阪神百貨店の再生を果たした。この百貨店の再生に熊本市民、知事、市長をはじめとした行政、経済界のみんなが心より協力していただき開店を迎えたことは、恐らく企業再生の歴史にのこる事柄ではなかったのではないかと考えます。

私が、この再生計画に協力するにあたり、損得を考えていたならば、ありえないことだったと思います。全てをなげうつ勇気があれば、不可能なことはないと思います。

人はこの事柄に、男のロマンを感じるとおっしゃってくださいました。