「新入会員の話」(出田 善蔵 君)

2010年12月6日 (第2537回例会)

1、昭和22年6月5日、福岡県久留米市で生、63才。

2、会社には昭和45年に入社。
いわゆる団塊の世代の第一陣で、全共闘世代。
大学では、学園紛争でキャンパスが封鎖されていたので3、4回生の2年間、試験が実施されず、レポートを提出さえすれば単位が認定され、誰でも卒業できた。

3、大阪ガスで担当した主な3つの仕事。
秘書部に、担当者から部長まで18年間、担当役員として7年間、計25年間携わった。西山、安田、大西、領木、野村、芝野、尾崎の7代の社長の下で仕事をして、都市格向上、大商と大阪工業会の統合、大商の一号議員選挙などの舞台裏の一員として関与した。
人事部では課長職として7年間、労使交渉を担当。その後役員としての人事担当7年間のうち4年間は、大阪府労働委員会の経営側委員として、労使紛争の処理を20件程度担当した。
CSR・コンプライアンスは役員として5年間担当。不祥事のおわび記者会見に出て、TVでも頭を下げるところが放映された。

4、これからの私の役割。
昭和20年、漏洩を主因とする勘定外ガスの比率は53%という状況から戦後がスタートして、25年を経た昭和45年に、大淀区天神橋六丁目付近でのガス爆発事故、更にこれから25年後の平成7年に阪神・淡路大震災。この三つの事実から、会社を甦らせるのは人の力・社員の力であることを、教えられた。

故芝野前社長は平成17年10月、創業100周年記念誌〝大阪ガススピリット〟の中で「富士山に降った雨や雪は、山肌にゆっくりと浸み込んだ後、100年の歳月をかけて、伏流水として地中を流れ続け、やがて広大な裾野の各地から滾々と湧き出ると言います。そして長い年月、幾多の地層をくぐって磨かれた湧水の成分は、いつの時代にも決して変わることがないとも言われます。」と記した。
天六のガス爆発事故では、西山当時社長の揺るぎない姿勢のもと〝決して逃げない〟というスピリットが発揮された。阪神・淡路大震災のときは、都市ガスを安全・安心に供給するという使命感、困難を乗り越える不屈の精神、さらには、お客さまや地域社会を思う心情などのスピリットが随所に発揮された。

今まで100年かけて、社員一人一人が自らの心身に浸み込ませてきた大阪ガスのスピリットが、次の100年にもつながって、仕事の上で発揮されるようにしていくのが、今年7月から顧問に就任した私の役割と決めている。