「新入会員の話」(松田 佳紀 君)

2010年12月6日(第2537回例会)

和歌山市四番町5番地に生まれました。実家は和歌山城のすぐ近くで、小学校5年生頃までは、酒・タバコ等を販売する店舗を営んでおりました。

和歌山大学教育学部付属小学校・付属中学校を卒業し、県立和歌山北高等学校に進学し、中・高の6年間サッカー部に所属しておりまして、その高校時代の3年間に勉学が少し疎かになったことにより、希望する大学の受験に失敗しました。

大学受験の失敗もあり、高校の先生の指導により上新電機㈱に入社いたしました。

上新電機には、大学を次に受験する10月までのつもりで居ましたが、入社すぐに日本橋北店(日本橋3ばん館)の配属となりました。予定通り夏商戦終了後の9月末に退職願を提出いたしましたが受け付けてもらえませんでした。更に20歳(成人式)を迎える前の社員代表として、社内報(親友)に寄稿するよう人事部より案内があり、内容は充分覚えていませんが、『今年も一年頑張るぞ』と書いてしまいました。

その翌年の21歳から商品部に配属となり商品の仕入れ業務に携わり、本社勤務となりました。実質創業社長でありました、浄弘 博光さん(1985年50歳で逝去)より、短い期間(約4年間)ではありましたが、色々とお話を頂戴し、商売の仕方や事業とは、会社でのモチベーションの保ち方など、大変勉強をさせていただきました。その意味では大学受験の失敗は肯定的に捉えることができています。

その後28年間、上新電機にお世話になることとなりました。上新時代は子会社(三共上新)への出向や、名古屋地区での店長・エリア長・広告宣伝(販売促進部)部長、東京営業部・東海営業部長兼務を経て、再度販売促進部長に就任いたしました。その間、阪神タイガースとのコラボレーション企画など、業績向上に努めました。

マツヤデンキには、民事再生申請後、新生銀行を中心とした再建プランで取り組んでいた訳ですが、家電の小売業界のことをあまり理解していない経営者が派遣され、経験がある人間がいないのか?とのことで、何故か話があり、ボディハンティングされる形で2006年4月より勤務しております。その頃は営業現場の士気が大きく下がり、離職者も多く発生する時代でありましたが、基本戦略である地域密着を再度見つめ直し、徹底することで営業現場の士気が上がる施策と共に、地上デジタル放送や、政府エコポイント施策の効果により元気な会社となり、現在に至っています。