「イスラエル視察に学ぶ」(株式会社経営センター 取締役社長 濱野 晃吉 氏)

2010年10月25日 (第2531回例会)
担当会員  市田 晃 君

イスラエルに4月15日から8日間行って帰ってきたら、娘に日本創新党から参議員に立候補すると聞かされ、家内までが息巻いているのには驚きました。選挙の際には皆様方に大変お世話になりました。素人ながら甲子園溢れる票を得ることができたのも皆様のお蔭と感謝申し上げます。イスラエル建国62周年記念式典と大統領官邸祝賀レセプションに招かれ参加しました。朝、ホテルでみんなに「ボケトル」と言われて、どうしたのかと思っていたら「ボッケトール」というのは「おはようございます」という意味のようです。イスラエルは南北に500~600㎞、広いところで東西50㎞、我々がバスで走っていると、突如畑の中からF-15が爆撃のために飛びだしてくるという凄い国です。ゴラン高原はイスラエルの水の元、如何に確保するかが死活問題です。そこに日本の自衛隊、佐藤慎二隊長らが行っており、我々の訪問を非常に喜んでくれました。7ヵ国から来ているようですが、日本人が一番優秀だそうです。

4月19日に慰霊祭が行われ、シオンの丘にイスラエル中の国民が集まり、16~91歳までの12人の代表が熱い思いを語っていました。イスラエルはエジプトとローマに滅ぼされ、国土を持ち国を守ることの大切さが語られていました。20日にレセプションが開催され、ペレス大統領の演説は堂々としていて威厳があり、日本の首相に見習ってほしいと痛切に感じた次第です。また、元将軍とモサッドの元長官との懇談では、軍事衛星を無数に打ち上げており各国の情報、世界の動きを全部把握していると自信満々でした。偵察衛星で分からないところは、無人偵察機で偵察する。その飛行機を造っている工場も見せて頂きました。本当に緊張した状態で国を守っていることが伺われたように思います。

レセプションの時に、UNDOFの司令とお会いしました。その時に「アメリカ軍が5万人日本にいる意味は大きいですよ」「日本の総理大臣はコロコロ替わるけれど、天皇陛下のおられる意味は大変重いです」と言われ、その時に私は昭和20年の終戦を思い浮かべました。昭和天皇はマッカーサーと会って「大東亜戦争の全ての責任は自分にある。自分の身はどうなってもいい」とおっしゃられ、財産の全てを投げ打って「国民が飢えないように」とお願いされたことはご存知の通りです。マッカーサーは「頭の中に雷が落ちた思いだった」と言っています。

天孫降臨で、天照大神はニニギノミコトに三種の神器を渡します。そして命の根っ子である稲を渡して、国民が餓えないようにと言いました。三種の神器は磨かないと光りませんので、しっかり磨いて一隅を照らす人になれ、世直しは自分直しであるということで与えるわけです。昭和天皇は昭和64年の年明けに侍従長を呼んで、天候はどうか、稲の出来はどうか、日本国民が苦しんでいることはないかと、自分の命が消えようとしている時にも、国民を心配されたということです。皆様も今の政情に感じられることも多いと思います。我々もイスラエルに見習って、この国をしっかりと守っていかなければならないと痛切に感じているところです。

今日お渡ししている資料に、龍馬プロジェクトというのがあると思います。吹田市市会議員の神谷宗幣君、彼は現在の坂本龍馬だと思います。33歳ですが本当によく頑張っています。カナダに留学した時に中国人の留学生と出会い、彼らが遊ぶことなく中国のために真剣に勉強する姿を見て、帰国後は先生になりますが、政治を変えたいという思いで頑張っています。吹田市は共産党8人、公明党7人、民主党6人、自民党2人、そんな中で日本中の坂本龍馬を探し、国直しのため、日本全国を行脚しています。「日本は平成の龍馬を求めています。思いある同志が集い、行動を起こそうではありませんか」をモットーに、現在200人の若い政治家がメンバーで、これを500人にして、日本に新風を吹き込ませるために頑張ってもらいたいと思っています。共感頂ける方はご協力の程よろしくお願いします。「チャンネル桜」というのは、日本文化チャンネル桜を2,000人の力によって支え、育てていこうというものです。現在、テレビ局には20%しか外国の株を入れてはいけないことになっていますが、各テレビ会社は30%ぐらい入ってきています。そうなると放送も外国に報道統制されおかしくなってきます。日本の悪口ばかりを言うようになっており、これではいかんというので「チャンネル桜」というテレビ局を水島社長が作りました。日本の国土を守るための放送局、日本国民を守る放送、日本国民の権利と自由を守る放送局にしたいと考えています。これもご支援頂ければ幸いです。何故日本がこれほど狂ってきたのか、この元はアメリカの占領政策6年8ヵ月、日本が侵略国家だということにされて、無害な三等国にするというアメリカの方針が、ここまで響いてきています。侵略戦争だと東京裁判で判決を下したマッカーサーが昭和26年に、アメリカの上院軍事外交合同委員会で、「大東亜戦争は日本の自衛戦争であった」と発言、同27年には国会決議をし、11ヵ国の同意を得て戦犯が釈放され、国際的にも国内的にもこの問題は解決しました。昭和30年にはバンドン会議が開かれ、アジア、アフリカの29ヵ国の集まりに高碕達之助経済審議庁長官が出席、スカルノ大統領の「我々29ヵ国が独立し集まれたのは、日本が戦ってくれたお蔭だ」という言葉に日本代表は非常に感激したそうです。中国の周恩来も参加しており、「そうだ」と賛同したと言われています。インドネシアの国旗は上が赤で下が白、日本のお蔭で独立できたと、日の丸から赤と白の国旗になったそうです。大東亜戦争は侵略戦争ではなく、日本が戦ったことで50ヵ国未満であった独立国が、200ヵ国に及ぶ独立国ができました。我々はそういう国柄でありますので、それを取り戻そうと、私は色々と動いています。是非ご協力頂きますようお願い致しまして、私のご報告とさせて頂きます。