「心に残る出会い」(新堂 庄二 君)

2010年2月8日 (第2501回例会)

心に残る出会いの最初は幼稚園の先生です。優しく、時には恐い先生で、たった一年間ですが記憶に残っています。近くの小学校に入学、台風で城東区の大抵の学校が被害に遭い、鉄筋コンクリートに変わる中、私の通っていた学校はびくともしなかったことから、木造建築のままでした。小学校5年生の時、浪速の尋常科を先生に薦められましたが、父の意向で四条畷中学に進学、お蔭様で立派な先生方に習うことができました。卒業生である安岡正篤さんのお話、中学時代から道を歩きながら「これからの世界はどうなるか」「私の果たすべき役割は何か」を考えていて田んぼに落ちたこともあったそうです。南部忠平さん、ロスアンゼルスオリンピックの三段跳びで金メダルを取った人のお話を聞く機会があり、「食べ物は飲んでも良い。その後で運動をして、体全体で消化すればいい」とおっしゃっていたことが不思議でした。

進路を決める時、先生から教育者の道を勧められました。大阪から近くて先輩の多い広島高等師範に進むつもりが、動員先で広島高等師範出身の数学の先生とお会いし、「勉強をするなら東京へ行け」の一言で東京に進学、広島に行った同級の秀才たちの何人かは原爆で亡くなっていますので、出会い、運命の不思議さを感じています。

東京の小石川にあった学校も寮も焼けてしまって、復興のために資金を集めることになり、体育大学の学長をされていた野口源三郎先生から、「大阪の方でお金を集めなさい」と言われ、私がお願いのために市立高校へ行った時に出会った方が、小学校5年から中学校に入られた数学の秀才、丸山先生でした。その人との出会いが、私の将来に影響を与えたように思います。

後に教育大付属中学・高等学校で先生をしていた時、ロックフェラー財団から大学院の特別研究生として外国へ行かせて頂けることになり、北川久五郎学長にお願いしましたが、なかなか「うん」と言って頂けない。「フルブライトであれば行ってもよい」とのこと、お蔭で全国の色々な方との出会いがあり、元駐米大使の朝海浩一郎さんには大変お世話になりました。去年、サミットが行なわれたピッツバーグ、鋼鉄の町で、当時の日本の鉄鋼生産はアメリカよりドンと落ちていましたが、5年、10年で日本が世界一、大したものです。そしてマイアミで教えるように言われて冬のマイアミへ、冬は宿賃が通常の3倍、有名な音楽家たちが集まって演奏会があったりと楽しませて頂きました。総領事館ではお正月にお雑煮を食べさせてもらえるということでしたが人数制限があって私は行けず、1人でホテルにいたら、かわいそうにと頂いたのがシュガーボール(アメリカンフットボール)の観戦切符でした。フットボールのボウル・ゲームで、入手困難な切符らしく、観たというと驚かれるほどです。また、授業の様子が新聞に掲載され、外人最初の教師として優遇されるなど、アメリカという国は運が良ければトントン拍子にのぼれるところだと実感させられました。鳩山さん、麻生さんはアメリカのスタンフォード大学に留学されており、アメリカに対してその時の経験がどのように発揮されるのか、鳩山さんに期待するところです。

帰国後、35歳で大阪市教育委員会の中等教育係長を拝命、約520校の幼稚園から高等学校までの人事、研修に関わらせて頂きました。全国指導課長会議にも参加、今から35年前、既に学力の低下が懸念される時でした。大体10年に一回、カリキュラムが変わりますので、新しいことを勉強しないとついていけません。私が言ったのは「教育というのは実体が低ければ、それを見るというのは一番の基本、しかし、アメリカや中国や韓国は物凄く勉強をしています。そんな時にレベルを下げたのでは日本は立ち遅れてしまいます」ということでした。私が教育委員会にいた時、大阪の学力は日本一、今は45位です。さらに、内閣のある方が、研修は必要ないとおっしゃっています。10年たてば世の中も世界も何もかも変わっていくのに、勉強をしなければ、どんどん落ちていくのは当たり前です。これからは「言うべき時には言わなならんな」ということを是非ご認識頂ければと思います。

運が良かったなと思うのは、教育委員会にいた時、住友の総理事をされていた田中良雄先生の辞令で、教育委員会で色々なことをさせて頂きました。青少年教育課長の時には、六甲山に研修に行ったこともあります。日本板硝子の中村社長が教育委員長をされていた時には原稿を見ずにお話されるなど、勉強家であると感心したことを覚えています。プラザホテルの社長をされていた鈴木剛さん、日生の会長の弘世現さんには、青少年問題協議会会長を依頼すべく教育長に進言、教育委員会にいた時には色々な方とお付き合いさせて頂きました。その後、西区の区長をさせて頂きました。大阪市が発足したのは明治22年、東西南北の区は明治12年に発足、今から20年ほど前に100周年を迎えています。その時、大丸の井狩社長に会長を引き受けて頂いて、そごうの中島副社長など、皆様のお蔭で、大阪の東西南北の区の100周年記念行事を行うことができました。

東大学長、物理学者の茅誠司さん、文部事務次官初中局長の内藤誉三郎さん、ソニー創業者の井深大さんに、成人式でお話頂けるようお願いしたところ、井深さんに来て頂けました。井深さんは音楽がお好きで教育熱心、教育に理解のある方です。日本の現在の理科教育、産業教育が成り立っているのは、茅誠司さん、内藤誉三郎さん、井深大さんが理科教育振興法、産業教育振興法を作られたお蔭です。子供に対して時には厳しく、時には優しく、思いやりのある指導がなされないと、日本の教育はまさに危機に瀕してしまいます。司馬遼太郎さん、産経新聞の文化部長をされていた頃から、世界的な視野に立った物の見方、考え方をされていました。ロータリーはまさにインターナショナルであり、みんなで中西会長を中心に、日本の存在理由を世界192ヵ国の中で是非とも発揮できるよう、よろしくお願い致します。本日は、教師という職業、行政に関わらせて頂いたお蔭で、色々な心に残る出会いがありましたので、ご披露させて頂きました。