「日本人と英語」 (鴻池 忠彦 君)

2011年2月21日(第2546回例会)

大阪西のメンバーのみなさんは英語は得意でしょうか?お恥ずかしいですが私の英語は、レストランやホテルでなんとか通用する程度で仕事として使うには不十分なレベルです。ここ数年、経済のグローバル化に伴い英語の必要性が一段と増したように感じます。企業のトップと商談をする際には世界公用語としての英語が常識となっています。またアジア各国のオーナー系企業の子弟はアメリカの一流大学でMBAを取得している人が多く彼らは当然ながら英語を流暢に話します。

ところで、みなさんは「Cool Japan」というNHKの番組をご覧になったことがあるでしょうか。世界各国の若者が日本の様々な文化について語り合うという番組で、外国人の視点が興味深いのでよく見ています。その番組で日本人の「しぐさ」がテーマになっていました。日本人は人を呼ぶときに手のひらを下にして指を曲げて「ちょっとちょっと」と人を呼びます。しかし、このしぐさは外国では逆にあっちへ行けということを意味するそうです。確かに、指を曲げてからこの動作を開始するとあっちへ行けとなりますよね。これ以外にも、お腹をさすってお腹がいっぱい、人差し指で鼻を指して自分を意味するなど普段何気なくしている「しぐさ」が実は外国人にはずいぶん違和感があるようです。また、日本人の男性はよく小指をたてて女性のことを表現しますが、これは欧米では男性自身が小さいことを意味するそうですから十分に気を付けてください。

話は本題に戻りますが、私たちは学校教育で間違えることはとても恥ずかしいことだと教えられ育ってきました。正しい英語を学習するためにはまず文法が重要だと教えられ、名詞、動詞、副詞、形容詞から過去完了形などなどです。ただでさえ恥ずかしがり屋の日本人は、文法漬けの結果、英語恐怖症になり英語が苦手な国民になりました。それでは、外国人はどんな時に恥ずかしいと感じるのでしょうか?「Cool Japan」では欧米人にとっての恥は三種類あるといっています。まず、①Shyness(恥ずかしがり屋)、②Embarrassment(人前できまり悪い思い、バツの悪い思いをすること)、そして、③Shame(罪を犯した時や道徳的にしてはいけないことをした時に感じるもの)だそうです。まず一番目のshyな人は子供っぽく成功できない人だと見られるそうです。元来誰もがもっている恥ずかしいという感情と戦うことにより社会性が身につくのだと言っています。彼らは歴史の時間に議論することを学ぶそうです。自分の意見がきちんと言えることが非常に大切だと言っていました。二番目のEmbarrassmentは人前で転んだり人違いしたりした時のようにバツの悪いときの感情だそうです。彼らは転ぶことは不快なことであって、決して恥ずかしいことではないと言います。また、ものごとを知らないことも恥ずかしいことではなく知らないことを知るチャンスに恵まれたことをむしろ喜ぶべきだとも言っていました。そして三番目のShame、これこそがもっとも恥ずべきことで絶対にしてはならないことだと言っていました。このように恥に対する概念がずいぶん日本と異なるようです。

これまで日本企業はトヨタ、パナソニック、キャノンなど自動車、家電を中心にグローバル化を積極的に推進してきました。しかし近年、日本企業の世界市場における地位低下が顕著になってきているように思います。昔は半導体、コンピュータ、白物家電といえば日本製品が世界を席巻していましたが、最近では韓国、台湾、中国など新興国がシェアーを大きく占めるようになってきました。昨年の中国のGDPは5.9兆ドルと日本の5.5兆ドルを上回り世界第2位になりました。これらの背景には、海外へ出ていくことを億劫に思う日本人が増えてきたことがあるのではないでしょうか。日本はそもそも島国ですからあまり外交上手ではありません。そこに加えて英語が苦手、国内だけでも何とかなるだろうという意識が蔓延しているように感じます。それに対し韓国、中国勢はすごく勢いがあります。サムソンなど韓国の大手企業では新入社員の募集条件としてTOEIC900点以上を設定しているそうです。

世界の人口は約70億人。そのうち、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ニュージランドなどのように英語を母国語とする人が約4億人。インド、シンガポール、フィリピンなどのように公用語として英語を話す人が約11億人いるそうです。さらにビジネスで英語を話す人を加えれば圧倒的に第二外国語として英語を話す人の数が多いということです。したがって、LとRの発音区分だとか、単数、複数、定冠詞、不定冠詞、現在、過去、過去完了などにあまりこだわる必要はないのではないでしょうか。完璧な英語はネイティブスピーカーに敵うわけありません、文法的に正しいかどうかを気にしすぎると何も話せなくなります。コミュニケーションツールとしての英語と割り切って間違いを恐れずにどんどん使っていけば語学力もアップしてくるのではないでしょうか。もちろん言うまでもなく言語としての英語は尊重されなければなりませんが。