「木の声が聞こえる ~樹木達は今…~」(日本樹木保護協会 代表樹医・NPO法人樹木環境ネットワーク協会 最高顧問 山本 光二 氏)

2011年8月22日(第2568回例会)

(担当会員:大島  徹 君)

私は交野RCで社会奉仕委員長をさせて頂いています。先ほどからのお話で貴クラブは東北の震災復興支援を精力的にされているとお聞きしました。私どものクラブでは8月初旬に東北地方の物産展を行いましたが、これが復興につながればと、継続してやっていきたいと考えています。みんなでやっていこうとする気持ちが大切であり、やれることから進めたいものです。
今日は樹医ということでお話をさせて頂きます。樹木は言語を持ちませんが喋っています。例えば木の葉、お水が欲しいとしおれてきます。もっと欲しくなると乾燥し、更に欲しくなると茶色に変色し、私たちに見えるような形にしてくれます。それでも水を与えないと葉っぱをポトッと落してしまいます。そのままにしておくと軸がしおれてきて、その状態になったら終わりです。その手前でバケツかタライにお水を入れて、その中に1日入れて、出してから水はけの良い涼しいところに置いて、毎日1回の水やりで、1~2ヵ月で小さい芽が出てきます。よみがえり、生き返ります。そういう葉っぱのパフォーマンスに我々が心を砕くということが大切です。お母さんが赤ちゃんの泣き声を聞いて、オムツが濡れているのか、お腹が空いているのか判断するように、植物も色々な場面で色々な形でパフォーマンスしてくれます。
御堂筋の銀杏の木1,300本、一度全部見せて頂いて必要な治療をさせて頂いたことがありますが、大阪で花博があった時、包帯やギブスをしたものは新しく植え替えられました。木は年々大きくなるのが当たり前ですが、御堂筋に限って年々細くなり、というのは植え替えられているからで、この頃は木に対する接し方も変わってきて、順調に太ってきているようです。
人間社会においても弱者、健常でない方もおられます。パワーのある方、素晴らしい頭脳をお持ちの方、色々な方々で社会というものが形成されています。木の世界にも色々あります。自然の中に身を置いて感じるのは非常に厳しいです。樹木の自殺は聞いたことがありませんが、子孫繁栄のために自ら命を絶つというふうに感じられることがあります。オーストラリアのユーカリの木、あれからガスが出ており、そこに落雷して山火事が起きます。ユーカリの木が焼けて、木肌が厚いので完全に枯れませが、光が沢山入ってきて幼樹が育ちます。カナダやアメリカのジャイアントセコイア、非常に背の高い木です。固いマツボックリが実って、山火事になって高熱にさらされて初めて弾けて、中から種が出てきて発芽することができます。木が体をはって、自然の摂理だからと消防車を止めたという話があり、植物は自らを犠牲にすることがあるということを知りました。弱い人間として教えられることが多々あると思っています。木は歩きます。一歩だけ歩きます。木が育って二抱え、三抱えぐらいの大きさになり、日本の場合は落雷や台風などで木が折れると、根っこ脇芽が出てきてどんどん成長します。それが100年、150年を超えると、元の木が腐ってなくなって、横に生えた木が大きくなって横に一歩歩いたという表現を、和歌山の植物の後藤先生がされています。木は話しますし、歩きますし、人間と全く同じように動いているなという感があります。
森を見て木を見ずとか、木を見て森を見ずということを言われます。森には色々な植物があり、藤、蔓、蔦は植林された山では非常に嫌われます。木に巻き付いて大きくなるからで、締め合って、蔓の方が木を枯らしてしまいます。但し、原生林ではそういう植物があってこそ森が再生されます。木が折れて空間ができて空っ風が入りますと空間が拡散し山が禿坊主になってしまいます。蔓性植物は1日7㎝、50日で3.5m伸びますので、それが無数に出てレースのカーテンのように覆ってくれると空っ風が入らず、森はそれ以上のダメージを受けることなく、2年ぐらいで再生します。蔓性植物なくして森の存続はありません。森に観光道路を通したら空っ風が入って木が枯れだして、樹冠が低くなり、森が小さくなった例もあります。我々が気づかずにすることが、生物の多様だとか、植物、森にとって、我々社会にとって大きなダメージを将来に残すことになってしまいます。
世界の森林で止まらないのが緑の面積の減少です。一時期、年間に日本の面積の約半分が失われていると言われました。ゴルフ場開発、ミニ開発と、物事を始めるのに慎重によく考えてから前に進まなければなりません。極限にいる植物、ブナはこのあたりは南限です。ブナが枯れていくのは、温暖化によってブナの生息環境が北に上がっていったためです。生息域を広げてきたのはホルトの木で、今まで大阪では育たなかったのが、今やホルトの林ができています。
人間の社会は契約社会、それよりも前に自然との契約があると思っています。時にはそれを忘れてしまいがちです。自然との契約があってこそ初めて私たちの社会の契約は成り立っています。先般、新型インフルエンザで大騒ぎしました。かかられた方のご家族、同居されている方が出社停止になった会社があったかと思います。大阪市内では電車に乗ると、8割の方がマスクをされていました。そういう驚異に対しての心構え、自然との契約があってこそ、経済活動もできます。私は植物を触らせて頂いて、それを生業にしていますが、決して忘れてはいけないと感じています。皆様方は植物をお庭や植木鉢に植えられていると思いますが、根は空気を吸って酸素呼吸をしていますので、空気が届かないと根っこが駄目になります。排水も大切です。元気な木か弱っているかの目安は、葉っぱがしっかり茂っている時期に、その木を通して向こうが見えなければ元気です。高い木であれば見上げて空が3割以上見えると元気がないということになります。本日はありがとうございました。